2011年11月30日

日露海戦懐旧談 (32)

海軍特務少尉 有 延 芳 太 郎

日本海海戦砲後の感想 (承前)

   十三、敵は火死を免れんとマストに登る

 一番哀れなのは工作船らしき一艦が大火災を起して焔に包まれ時々上る火焔に目を据えて見て居ますと、マスト、ヤード、ガーフまで一杯敵兵が火死を免れる為挙ぢ登って居る。 やがてはマスト、ヤードが落ちる。 海中に飛び込むハンモックや木材を抱へて泳ぐものあり、又敵艦沈没のため其の渦の中に捲き込せるゝもある。

 人の事として見て居るものゝ之が反対なら如何であらうと思へば、敵ながらも哀れを催さずには居られませぬ。 思はず皆は目をうるほして居ました。

 打ち続く発射の為砲身が高熱を生ずる為、数発毎には砲底より清水を手動ポンプで注ぎ、砲身も外面から湿ったソーブで拭ひ、時々フワイヤメン (消火海水管) で水をかけたものです。

 かくて生死如何の分れ目寸秒を争ふ此の危機にも砲員挙って剛気沈着砲身冷却に努めつゝ、午後四時過迄射撃を続けました。

 勿論此の間には左舷戦闘の時には私は打殻薬莢を片付け甲板を処理して居りましたが、激しい発射のため打殻がたまり致方なくどしどし海中に投棄しました。

 段々射距離も近付き 「山之内砲員砲に付け」 の命令がありました。 それで始めて近距離に接近して居た事に気付きました。

 射撃に熱中しつゝも上甲板第二煙突のケーシングから上甲板一面蒸気の噴出したること三度、大音響の爆音を開きましたことは未だに記憶に残って居ます。

 戦闘側が右舷左舷と変るにつれ、烹炊場と鍛冶工場との間の通路から漏出する蒸気を避けつゝ戦闘側についたのであります。

 射撃中は何が何やら少しも耳に這入りませんでしたが、砲台附の生田候補生 (矢一、後ち寺島姓、32期) が 「永尾兵曹、もー五十米上げろ」 と言はれるに 「いけません私の弾は私が見て居ります、砲台長の号令通りにやります」 と、又命中弾が目につくと 「万歳! 俺の弾が当った」 と喚声を立てるなど、射撃軍紀上は如何かとも思はれるが、各砲手の自信の程が思ひ出されます。

 四時を廻つた頃 「打方待て」 の号令があり、次回発射の準備をなし各部を調査整頓に掛りました。
(続く)


posted by 桜と錨 at 17:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 日露海戦懐旧談(完)
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