2011年09月30日

日露海戦懐旧談 (30)

海軍特務少尉 有 延 芳 太 郎

日本海海戦砲後の感想 (承前)

   九、海戦の朝

 私は釣床掛で総員より十五分前に起され、釣床を格納し終るや上甲板に上りますと両舷直は出港配置に。 残る総ては昨日まで苦心惨憺して満載せし石炭の叭積みを海中に投棄せよとの命令。 艦内は物すごき迄勇み立ちて居る。 私等も前部砲塔両舷後部に積んである石炭を海中に投棄し、中部に至り砲廓入口のものを他に移しました。

 折しも艦は平常の艦足より一層の速力を加へ、我が第二艦隊定位置に続行しました。

 総員で手早く甲板を流し洗面を急いで朝食、中甲板の拭掃除も終らぬ中に総員手足顔洗へ、最上の軍服に着換への号令下る。 戦友は言ひ交した様に嬉し涙の語合ひ。 今日この最後だ、女々しい振舞ひ断じてない様に、取り分け有延は初陣だ、何事も古参者のなす所を見て沈着剛気をもって戦ふ様との激励の言葉を受けました。

 其れより間もなく合戦準備があり、各受持ちに就いて違算なきを期する為合戦準備に物足らざる所を完成に努めました。

 程なく総員を後甲板に集合せしめられ、愈々本日は大海戦が来た必戦の自信を持つべきことゝ慎重なる用意ある様との艦長の訓示がありました。

 続て酒保貯蔵の日本酒菰冠りを上甲板中部に運び鏡を脱、柄杓を付けて各自随意に戦勝前祝ひの縁起酒を飲ましめらる。 誰一人として酩酊する者なく無言の儘顔を見合すばかり。 中には柄杓に酌みたる酒を天に捧げて勝を上天に祈るものあり。

 気早やの者は恰も四十七義士の打入の如く晒木綿で鉢巻をなす者さへありました。 過ぎし八月十日の海戦に八代艦長より令された晒木綿の合戦鉢巻とも称へられたるもので (是れは負傷の場合繃帯代りに用ふ、便利あればなり)、誰しも守護神の守袋を身につけて足袋を穿ち上衣を脱ぎ、凛々しく装束したものです。 遇ふ人毎に戦の門出を祝福し不事の備へに後事を頼む。

 さて自分々々の受持に最善を盡して待ちましたものの、敵艦隊が如何に航進しあるや私等四等水兵の知るところではありません。

 恰度此の日は濛気がありて四面の視通を妨げられ、飛散る海波の飛沫と共に物凄さを加へて居ました。 此の朝東郷長官が大本営に打たれた電報 「天気晴朗なれども波高し」 とは後の世迄も名文として伝へられて居りまするが其の通りでありました。

 午前十一時に昼食をなし後片付を急ぎましたが、古参者の話に依れば、あの前檣楼に巻き上げられたるは戦闘旗なり之が開くと戦闘ラッパがなると云ふことでした。(注)

(注) : 当時の 『海軍旗章條例』 ではまだ戦闘旗の規定がありませんが、船乗りの慣習・伝統の一つとして 「大檣頭」 に戦闘旗の掲揚するものとされ、2檣艦で前後の檣楼が同じ高さ場合は後檣を大檣頭とすることとなっていました。 当時の 「浅間」 の艦型からすればそのとおりであるはずですが、もし本回想の前檣頭が正しいとすると、おそらく後檣頭に装備された無線アンテナ用ガフの為ではなかったかと考えられます。

なお、本回想にあるように戦闘旗などの掲揚は、旗甲板での通常の旗旒の格納状態のように畳んでその掲揚索で巻き止められたまま揚旗線に付けて檣頭に上げて準備しておき、戦闘開始とともに揚旗線を引いてパッと開くようにする場合がありました。 掲揚時の見栄えを良くするためで、これも船乗りの “スマートネス” の一つです。


(続く)


posted by 桜と錨 at 19:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 日露海戦懐旧談(完)
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