2011年08月30日

日露海戦懐旧談 (23)

海軍特務中尉  中 村 芳 蔵

  十、我が艦隊より発せし弾丸の命中率

 午後二時過約六千米の距離に近くや旗艦三笠先づ火蓋を切り各艦之に倣ひて百雷の一時に落下するが如し。

 射撃開始後二三十分にして左翼先頭たりし 「オスラビヤ」 は我が猛撃のために大火炎を起し進退の自由を失ひて戦列を脱す。

 又旗艦 「クニヤージスワロフ」、二番艦 「アレキサンダー三世」 も大火炎を起し之亦戦列より離るゝに至る。

 当日の天候は浪高くして駆逐隊の如き航行困難を来すが如き天候なりしに、殆んど百発百中到底、平時平穏なる日の射撃にても未だ見たることなし。 之れ全く天佑としか思はれませんでした。


  十一、伊地知艦長戦死者に戦況を知らす

 二十七日も日没となり直に哨戒配備に移る。 配備終りし後艦長は副長の先導に依り下甲板後部の負傷者を見舞ひ、次いで戦死者を安置せる兵員浴室に至り総員集合を命じ、全員の集合を待ちて艦長は戦死者太田兵曹より順次抱き起し涕涙して恰も生ける人に物言ふが如く、「太田々々天晴名誉の戦死じゃ、汝等の勇戦に依り戦は勝ったぞ云々」と。 聞く者皆袖を絞らざるはなかった。

 斯くて戦死者の官等姓名を記したる新しきハンカチーフに其の洗血を附して之を木製の箱に納め、八月十日黄海海戦々死者と共に艦長公室に安置し、艦長は毎月十日及二十七日には必ず神酒を之に捧げて英霊を祭られました。


  十二、翌二十八日敵艦隊の降伏

 敵艦降伏して我が軍の為めに捕獲せられたる場面を眼前に見たる時は何んとも言ひ難き愉快さを感じたると同時に、一方露艦の将卒は祖国のために遠く二万哩の海路を辿り来たりて今日斯る運命に陥るとは恐らく彼等も予期せざりしところなるべし。

 其の心情を想び至れば一掬の涙なしには居られん様な感が致しました。


  十三、敵艦隊降伏の挿話

 敵の旗艦 「ニコライ一世」 が降伏信号を揚げし時、敵の各艦上に起ちし悲痛の出来事は実に筆を以て盡すべからざりしと言ふ。

 或る者は茫然として起立したる儘一言も発せず、或者は絶望の極艦橋に倒れ小児の如く慟哭し、又或者は尚ほ胆力を持して艦長に向って勧告し信号を揚ぐべからず命命に徒ふべからずと主張し、或は自爆若くはキングストン弁 (注) を開くべしと主張し、又中には続いて戦闘を続行すべしと呼ぶものあり。

 艦長は手を以て之を制しながら答へて日く 「降伏の不可なるは我等も能く之を知る、されど信号は苟も是れ我が提督の命令なり。 我等艦長たるもの此の命令を奉ぜざれば 「ニコライ一世」 を砲撃すべし云々」 と。 此の争論間に兎に角降伏の信号を揚げたりと。

 二十七八両日の戦闘に於ての三笠の損害は他艦に此すれば相当大なりしも、戦闘航海には大なる影響なし。

   戦死者     七名
   負傷者   八三名
(続く)

(注) : キングストン弁についてはこちら ↓ の (注5) をご参照下さい。
posted by 桜と錨 at 10:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 日露海戦懐旧談(完)
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