2011年08月10日

日露海戦懐旧談 (17)

海軍特務中尉 南 村 鶴 太 郎

『 日露戦争の従軍を憶ひて 』 (承前)

   一五、高砂の沈没 (承前)

 艦は次第に艦首より沈み、舷側にある我等は腰を没する様になったのでマストに取付いたまゝ本艦を離れたが、海水温度は以外に低く、身体急に凍りつく思ひに又もや本艦の方へと戻った時は最早や足もとどかず、何時の間にかマストを離れて泳いで居た。

 折しも近く探照燈を照らされたので、思はず振り向いて見ると、艦は僅かに後部の舷側を水面に現し、排気のためにすさまじき音をたてゝ噴水しつゝ、哀れ、スクリューを上に沈没した。

 海面には艦長始め四百数十名は首から上を水面にあらはし、君が代を唱へるもの、軍歌を謳ふもの、苦しき聲で救ひを求めるもの、おぼれつゝあるもの、惨憺たる光景は筆紙のよく盡す処でない。

 此の時、ボートは三、四隻現はれ、しきりに溺者は救ひ上げられて居た。 僕はライフジヤケツトの御蔭で泳ぎは大変楽であったが、防寒用の腹巻はとけて足にまきつき、足の動作を妨げたから之を取のけ、徐かに泳いで居た。

 すると、二間も離れた所で戦友の桑田二等水兵は漸く顔のみを水面に現はし苦しんで居たので、「桑田ではないか ・・・ ・しっかりせーい、今直ぐ助けて呉れるぞっ」 と、言ふと之に聊かカを得たものと見え 「ウン」 と大きく返事して暫くは泳いで行くが、間もなくもとの如く苦しむ聲がするので助けてやらうかと思って後振り返って見たが、頭上を打ち越す二、三の波で遂に姿は見えなかった。

 此の時眼前にボートのオールが一本流れて来たので、これ幸とすがり付き泳いでゐると、突然横合から 「南村! あゝー 苦しい」 と言ひつゝ僕のオールへ手をかけた。 見れば先任下士官吉村一等兵曹であった。

 「おゝー 吉村兵曹ですか ・・・・ 之を上げやう、ボート迄はすぐ其処です、しっかりしなさい」 といってオールを渡し、自分も一生懸命泳ぎを続けて居ると、前と横から二隻のボートが近付いて来て、前なるボートより 「おい ・・・・ 之れを持て ・・・・」 といひつゝオールを差し出された。

 僕はこれに取付くと直ぐ引寄せられたが、人並優れた大の男である僕はライフジヤケツトをつけてゐるので思ふ様にならず、三人掛りで漸く艇内に引揚げられヂヤケツトをぬがせ艇尾に移されて、誰かが外套を被せてくれた。

 其の時既に艇内には、十数名も救助され、一つ所に折り重って只 「うーんうーん」 とうなって居る。 僕もこれに賛成した訳ではないが、共にうなって居ると、何時の間にか救ひの神とも仰ぐべき僚艦 「音羽」 の舷門に来て間もなく、我々兵卒一同はボイラーの上部防禦甲板へと運ばれ、毛布にくるまり暖をとって居た。

 そうしてゐる中に次第に元気付き、我に帰ったときの嬉しさは又格別で生涯忘れることは出きぬ。

 又折角救助されて 「音羽」 まで収容された航海長、軍医長、甲板士官を始め数名の下士官と兵は、人事不省に陥り殆んど息が絶えて居たのを人工呼吸の方法に依りカを盡されたが、何れも蘇生しなかった。

 後にて聞けば、「高砂」 の水雷にかゝつたのは、十二日午後十一時五十五分で沈没したのは、翌十三日午前一時十分であった。

 乗員は総計四百三十六名で、其の中死亡者副長中山中佐以下二百八十三名で、此の二百八十三名中一旦救助され亡死亡したるもの九名で、死体となって拾得された者五名を除き他は皆海底の藻屑と消えた。

 而して残りの百五十三名は九死に一生を得た幸運児で、総員の約三割五分に当り、一、二等兵の元気盛の者が比較的多かった。


   一六、末  尾

 当時 「高砂」 の沈没は戦略上極秘にされて居た。 軍艦 「音羽」 は其の翌日、大連に回航して生存者艦長以下百五十三名は御用船 「臺北丸」 に収容され、死体を焼いて跡始末を行ひ、同月三十日補充交代の名義の下に、呉海兵団に入り暫く休養することゝなった。

 僕は三十八年一月一日附を以て三等兵曹に任ぜられ、二月五日新兵教員を命ぜられ、更に四月十五日砲術教員教程練習生として横須賀へ入所し、五月二十七、八日の日本海海戦当時は練習中であって、之に参加し得なかったことを今尚遺憾に思ふ次第である。
(続く)


posted by 桜と錨 at 19:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 日露海戦懐旧談(完)
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