2011年07月23日

日露海戦懐旧談 (14)

海軍特務中尉 南 村 鶴 太 郎

『 日露戦争の従軍を憶ひて 』 (承前)

   一三、黄海海戦の成果

 黄海に於ける八月十日の海戦は酷烈なる暑熱の中に戦闘約一昼夜の長きに亘ったが遺憾ながら撃沈する痛快在る光景を見ることは出来なかった。

 然しその間充分に敵を悩まし遂に逸出の目的を捨てゝ再び旅順に引き返すの已むなきに至らしめた事は我が軍の大捷利にして充分の成果を収め得たものと確信した。

 其の後彼我の情報を綜合するに、我が軍に於ては 「三笠」 の損害最も甚だしく 「日進」、「八雲」 之に次ぎ其の他の艦艇亦多少の損害を蒙りしも戦闘航海に支障なく、死傷者総数二百二十八名なかしが本艦の如きは只一人の死傷者もなく何等の損害も受けなかった。

 敵の死傷三百四十七名にして旗艦 「ツエザレウヰツチ」 と駆逐艦三隻は膠州湾に、巡洋艦 「アスコリツド」 及び駆逐艦一隻は上海に、巡洋艦 「デヤナー」 は西貢に、其の他駆逐艦三隻は威海衛に逃れて何れも武装を解除し、軽巡洋艦 「ノーヴイツク」 は遠く北海に航してコルサコフ港に入り、芝罘に遁げ込んだ。 駆逐艦 「デシーテリヌイ」 は我が駆逐隊に捕獲された。


   一四、其の後の経過

 八月十四日、第二艦隊は浦鹽艦隊と蔚山沖に邂逅して激戦大に之を破り内巡洋艦 「リユーリツク」 を撃沈し、陸軍又連戦蓮捷して旅順の包囲攻撃も日を追ふに従ひ益々急となり、悪戦苦闘、幾度か全滅に近き犠牲を払ひ死力を盡して二〇三高地を占領したる後、我が重砲隊の砲撃に依り敵艦隊を港内に撃滅し、僅かに餘命を保ちし戦艦 「セバストポリー」 は港外に避泊せしも、我が駆逐隊の夜襲に依り、魚雷命中して廃艦となった。

 茲に於て海軍の戦局に大変化を来たし、来航しつゝあるバルチック艦隊に備ふべく各艦交代して内地に帰り、艦体、兵器の修理に著手した。

 本艦は十一月九日旅順沖を発し、呉軍港に帰り入渠の上必要なる修理を施し、新兵八十餘名を補充して十二月三日錨を抜き、同七日早朝旅順沖に於て封鎖哨戒の任務に就いた。

 而して昼間は旅順港を去る十四、五浬沖を東西に遊弋し、夜になれば遠く南下して漂泊警戒に任じた。

 蓋し其の頃、浮流水雷は一日幾つとなく発見され、其の都度撃沈処分にされて居たが、夜間の航海は特に危険を感じたからである。
(続く)


posted by 桜と錨 at 17:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 日露海戦懐旧談(完)
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