2011年07月06日

日露海戦懐旧談 (11)

海軍特務中尉 南 村 鶴 太 郎

『 日露戦争の従軍を憶ひて 』 (承前)

   十、名将マカロフ提督戦死

 四月十三日、敵艦隊の脱出する微候があったので、第一遊撃隊たる第三戦隊は 「常磐」 と 「浅間」 を加へ、午前六時旅順沖に達し、敵の装甲巡洋艦 「バーヤン」 を撃退しつゝ港に近付き強行偵察を行ふた。

 果して敵艦は黒煙を天に漲らしつゝ午前八時大挙出動した。 即ち快速巡洋艦 「ノーヴイック」 を先頭に六隻の戦艦は巡洋艦隊を従へ、単縦陣を以て悠々我に接近して砲撃を開始した。 我が艦隊も之に応戦して且つ戦ひ且つ退き、巧に敵を誘致して我が主力艦隊の近くまで引寄せた。

 敵艦、勢に乗じ益々出でて迫ひ来りしが遥かに遠く我が主力艦隊の来航するを見て、俄かに艦首を転じ旅順口に向けて退却した。

 我が艦隊之を追撃中、十時半先頭にありし旗艦 「ぺトロパヴロフスク」 は俄然我が沈置せる機雷に触れ轟然たる爆音と共に濛々たる黒煙に包まれ僅々数分間にして沈没した。 我が艦隊の乗員之を見て大いに悦び、万歳を唱へて引揚げた。

 後にて聞けば世界の戦術家として我も許し、人にも許された名将マカロフ提督は艦と運命を共にし、僚艦 「ポベーター」 も水雷に触れ進退の自由を失ひ多大の損害を蒙りたりと。
(続く)

(注) : 「ペトロパブロフスク」 の触雷沈没について、これと日本側の機雷敷設との関連は先にお話ししたことがあります。


     「機械水雷 (機雷) の基礎」 (7) − 「ペトロパブロフスク」 撃沈 (前編)

     「機械水雷 (機雷) の基礎」 (8) − 「ペトロパブロフスク」 撃沈 (後編)

     現在までのところ日本側の敷設機雷によるとの説が一般的ですが、実際にはロシア側の浮流機雷による可能性も捨てきれません。 しかしながら、正確な位置データなどの記録が日露双方に残されていない以上、今日に至ってはその真相解明はおそらく不可能なことでしょう。


posted by 桜と錨 at 18:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 日露海戦懐旧談(完)
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