海軍特務中尉 南 村 鶴 太 郎
『 日露戦争の従軍を憶ひて 』 (承前)
九、旅順ロの封鎖
三月十日頃より数回に亘り、昼間我が主力戦隊は老鉄山の背面より砲台及港内市街の区別なく巨砲の間接射撃をなして敵を苦しめ、夜は駆逐艦の襲撃、仮装砲艦、艦載水雷艇の機雷敷設、或は第二回、三回の港口閉塞等昼夜を分たぬ攻撃に敵をして港外に出で戦ふの勇気をなからしめたが、其の後の敵は沿岸防禦にカを尽くし、尚夜陰に乗じて我が航路に無数の機雷を敷設し、老鉄山の中腹に新しく砲台を築いたので、我が軍の近寄る事は頗る危険となり、港内の偵察陸上の攻撃は困難となった。
是に於て、兵器糧食等の供給の道を絶つべく旅順の沖を警戒、封鎖を厳にし海上の交通を遮断した。
爾来戦時禁制品を積み込み旅順に入らんとする支那帆船ジャンクを捕へ、大連に抑留した数は数十隻に及び、物品は全部没収し、食糧品は概ね各艦船に分配された。
お陰を以って鶏卵、果物、氷砂糖等時ならぬ御馳走に乗員大いに悦んだが、其の反対に喰ひなれぬ牛肉の塩漬を時々副食物として与えられたのには少なからず閉口した。


( 臨検・引致される中国ジャンク 『日露戦役海軍写真集』 より )
(続く)