海軍特務中尉 南 村 鶴 太 郎
『 日露戦争の従軍を憶ひて 』 (承前)
七、旅順口閉塞決死隊の募集に応ず
敵艦隊は我が軍、数次の攻撃に多大の損害を蒙り、港内深く蟄伏して専心修理を急いで居ることを知るや、我が東郷司令長官は予て計画しつゝありし旅順口閉塞の壮挙を決行することゝなり、二月十八日各艦に於て之が決死隊の志願者を募られ、之を聞くもの皆先を争うて願書を提出した。 而して僕は長男なる故を以て御採用にならなかった。
本艦より、新上 (卯太郎) 一等水兵及舟上 (まま、舛山金藏) 、荘 (喜蔵) 二等機関兵 (まま、両名とも一等機関兵) の三人は選ばれて七十七士の中に加はり、特に艦長主催の別宴に招かれ、翌十九日総員の見送りを受け、万歳の声を浴びつゝ勇士の名誉を一身に集め意気揚々として、閉塞船 「武州丸」、「武揚丸」 に分乗した。
翌二十日午前九時、我が第三戦隊は五隻より成る閉塞船隊を護衛し、八口浦を抜錨した。 在泊の各艦登舷礼式を行ひ、互に万歳をとなへてその行を壮にし成功を祈った。
二十三日朝主力隊と合した。 夕刻、円島附近に達し、茲に再び登舷礼式を行い閉塞船隊に別れを告げた。 其の後数日を経て右三名の者は無事帰艦した。

( 元図 : 防衛研究所保管史料より )
此の壮挙は、天候の不良と敵の砲撃、防材及探照燈に妨げられ、所期の目的を達する事を得ざりしは遺憾なりしも、而も此の勇敢なる動作に依り敵の心胆を寒からしめ、我が軍の士気を振興したる精神的効果の多大なる事は言ふまでもない。
(続く)