2011年06月09日

日露海戦懐旧談 (6)

海軍特務中尉 南 村 鶴 太 郎

『 日露戦争の従軍を憶ひて 』 (承前)

   五 旅順攻撃

 本艦は首尾よく任務を果して本隊と合し、午前十一時旗艦 「三笠」 を先頭に第一戦隊、第二戦隊 ( 「浅間」 欠)、我が第三戦隊之に次ぎ、十五隻より成る精鋭は威風堂々単縦陣の戦闘序列を作り、大連方面より針路を西に旅順に向ひ、総攻撃を決行することになった。

 此の日は、昼食も時刻を繰上げ特別の献立で御馳走があった。 自分も人の真似して上から下まで新らしき衣服と着替へ、花々しく奮闘して戦死の覚悟をした。

 合戦準備も出来てゐる。 やがて十一時四十分頃勇ましい 「戦闘」 の号音で各艦の檣上には一斉に戦闘旗が翻る。 各員受持配置に就いた。 敵の艦隊十余隻は砲台掩護の下に港口近く遊弋しつゝあった。

 彼我の距離漸く一万米突に迫るや、黄金山砲台にて閃々たる砲火一斉に起ったので 「今打ったな」 と見て居る裡に轟々たる砲撃と共に旗艦 「三笠」 の近くに数条の水柱が上った。

 続いて老虎尾砲台よりも砲撃を開始し、敵弾頻りに飛来して艦側近くに落下し、水柱高く立昇ってゐる。

 距離は次第に接近して八千米突になった時、敵の艦隊先づ砲火を開き、午後十二時十二分、旗艦 「三笠」 の十二吋砲一斉射撃を合図として各艦之に倣ひて火蓋を切った。 敵の艦隊健気にも砲台の掩護射撃と協力して烈しく発砲し、砲声天に轟き飛び交ふ弾は霞の如く、茲に凄壮なる修羅場は眼前に展開された。

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( 第1次旅順口攻撃運動略図   防衛研究所所蔵史料より )

 僕は対舷砲五番十二糎砲に至り照尺改調の任に当って居た。 砲台長森永大尉は此の砲の後方舷側にあって指揮を執り、敵の巡洋艦 「バーヤン」、「ノーウヰック」 を相手に激烈な砲撃を加へたが、各艦各砲台とも独立打方のため弾着は混乱して照尺量の修正は頗る困難に陥り、始んど改調するの遑なく無我無中の有様で射撃を継続された。

 今日より之れを見れば随分幼稚な射撃の方法であるが、敵の射撃も亦同様、頗る拙劣にして乱射狂撃、飛び来る弾丸雨の如くなれども、近く落ち、遠く去り、或は右に左に偏して艦体に中らず、只砲台から放つ巨砲の一斉射撃は照準稍正確にして大部分は艦側近くに爆裂し、之が水柱の為め我等が戎衣を濡らし、頭上を飛び越す弾丸に肝をひやした事も幾度かあった。

 斯くて激戦奮闘約三十分にして打方を止め、堂々と凱歌を奏して引上げた。

 翌十日午後、牙山の沖に投錨す。 此の時仁川に向ひし瓜生艦隊も来り会す。 「ワリヤーグ」、「コレーツ」 の二艦を撃沈したるを聞き之が戦捷を祝した。

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( 牙山錨地   図上 : Google Earth より  図下 : 古い海図#301より ) 

 二月九日の攻撃に於て、本艦には敵の巨砲一弾後檣をかすめて僅かに之を傷け他の二弾はリギンを折断したのみで、乗員には誰一人の死傷者も出さず互に無事を悦んだ。 情報に依れば、我が軍の死傷者総数僅かに五十八名に対し、敵の死傷者百二十九名なりと。
(続く)

posted by 桜と錨 at 21:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 日露海戦懐旧談(完)
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