海軍特務中尉 南 村 鶴 太 郎
『 日露戦争の従軍を憶ひて 』 (承前)
四、敵船 「マンチユリー」 を捕獲
途中何事もなく九日早朝旅順口沖に達し、遥かに遠く老鉄山の前方に横たはるを望見した。 近付くに従ひ黄金、威遠の砲台は視界に入り港口近く数隻の軍艦遊弋し、且つ昨夜我が駆逐隊の襲撃を蒙りた大艦三隻は正しく傾斜しておることも確認された。
我が艦隊は戦闘旗を朝風に靡かせつゝ、各員受持部署に就き距離一万米突より八千米突まで突進して偵察任務を遂行しつゝ旅順の港を後に見て大連沖にさしかゝった。 其の時遥かに遠く一隻の商船を発見した。
本艦は命に依り隊列より離れ、得意の速力を利用して之に近付けば敵の商船なることが判明したので万国信号に依り停船を命じた。
彼は知らざる真似をして速力を増し舵を転じて遁げんとするので、艦長命じて八糎砲の空砲を連続三発御見舞した。 彼は其の威嚇に狼狽し、直に機械を停止した。
そこで其の船を捕獲する旨を告げ 「本艦の航跡に従へ」 と命じた。 彼は図々しくも 「運転自由ならず」 と信号した。
是に於て艦長大いに怒り、前後八吋砲に装填を命じ、左舷発射管、魚雷発射用意の号令がかゝると共に 「我汝を撃沈す、乗員は今より十分の間に退去すべし」 と告げた。
流石に横着者の彼も今は到底逃るゝ途なしと覚悟したものゝ如く 「我故障復帰せり、貴艦の命に従ふ」 と云ふ意味の信号が来たので一同万歳を三唱し、彼を後方に従へ意気揚々として本隊に合すべく南方に向った。
途中通報艦 「龍田」 が来たので之が回航護衛の任務を引継いだ。 此の船は敵の御用船 「マンチュリー号」 にして駆逐艦の材料其の他兵器を満載し旅順に向け航行中の途中であった。 是が其の後特務艦 「関東」 (注) と名乗り、我が帝国の為め忠勤を尽くした功績多い船である。

( 特務艦 「関東」 本家サイト所蔵 『帝国海軍艦船写真帳』 より )
(注) : 特務艦 「関東」 は、日露戦争中は仮装巡洋艦兼工作艦として活躍し、その後は輸送艦、測量艦、工作艦等として使われましたが、先に連載しました 『運用漫談』 にも出てきましたとおり、大正13年12月12日佐世保から舞鶴に向かう途中悪天候のため福井県の越前糠浦海岸に座礁、船体全損に加え、死亡・行方不明者計96名という旧海軍事故史上に1頁を記してその最後を迎えました。
(続く)