2011年04月05日

『艦船乗員の伝統精神』 − (9)

著 : 坂部省三 (元海軍少将、海兵37期)

  第一章 海上勤務の特殊性 (承前)

    第七節 信頼と過信

 本項は説明の限りにあらざるを以て、之を人と物との2つに分かち先例を挙げて注意せんとするものなり。

 部下を信頼して使い、人に信頼することは大切なることなるも、之等を過信して禍を醸したる例は非常に多い。

 大正12年某駆逐隊司令が信号兵の言を過信し確かめざりし結果、衝突事件を惹起したる例あり。

 大正年間の終わり頃、軍艦 「伊勢」 が館山に入港の際、測鉛手の測深を過信して深海に投錨し、錨鎖を切断し数人を殺したる実例あり。

 又艦長が航海長を過信して坐礁したる例は甚だ多く、之と反対に航海長が艦長を妄信して坐礁せる例もある。

 大正13年軍艦 「朝日」 が菅島水道で坐礁したのは、航海長が所要の提言を為さず、艦長に対し妄信の結果が一因とされて居る。

 大正12年 「尻矢」 がホノルル入港の際桟橋にて怪我し、翌年 「北上」 が長江に於いて接触し、更に 「鶴見」 がタラカンにて触礁した。 之等の部類は水先人の技倆を過信したことが失敗の原因とされて居る。

 又大正14年某駆逐艦は嚮導艦長の技倆を過信し、艦位の測定を怠り、周到の注意を払わざりし結果、触衝事件を惹起して居る。

 之に反し、大正7年 「天津風」 は三番艦として航行中、艦位に対し不安を抱き、艦長として当然為すべき注意と警戒を怠らざりし結果、一番艦、二番艦相次いで坐礁したるに拘らず其の危機を脱し得たりと言う。

 次に、海図又は測程儀、測距儀等を過信して坐礁したる例は、吾人の度に耳にする所にして、某特務艦が徳山桟橋に横付の際、測距儀を過信したる結果行脚過大にして遂に船体を損傷し、又之に反し、大正14年 「矢矧」 が 「神宝丸」 を両断破砕したるは、目測を過信して何等の処置手段を講ぜざりしに因るものと言う。

 何れも海上勤務者として反省すべき問題なりと思う。
(続く)
posted by 桜と錨 at 22:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 艦船乗員伝統精神(完)
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