2011年03月28日

『艦船乗員の伝統精神』 − (5)

著 : 坂部省三 (元海軍少将、海兵37期)

  第一章 海上勤務の特殊性 (承前)

    第三節 熟慮断行と即断即決

 何事を為すにも熟慮して後断行せよとは、吾々の昔から教えられて居るところなるも、海上勤務者にとりて更に必要なことは即断即決である。

 之れは艦の航泊を論ぜず当直将校の寸時も疎かにすることの出来ない問題であり、又余程修練を積みたる人と雖も非常に困難なる場合が多い。

 熟慮断行に就て、運用作業上注意されておることは、凡そ事を為すに当たっては先づ研究に依り素養を作り、深き自信を以て着手の好機を選び、一旦熟せば全力を傾注して作業を断行すべしと言われている。

 然るに此位にして置けば出来るだろうかとか、やって見ればどうにかなるだろうと言う様な曖昧な態度にては概ね失敗を招くに至るべし。

 然れども、吾々海上勤務者の心掛て居らなければならぬことは、熟慮を許されない面も大切なる場合が多いと言うことである。

 即ち、霧中航行中の行遇艦とか水道通過又は編隊航行中の舵機故障とか、小にしては溺者の救助に至るまで日常即断即決を要求する場合は枚挙に遑なき程生起するものである。

 而して即断即決と言うことは、不断の研究熟慮に基づき修練競られたる自信力があって初めて成し遂げられるものにして、熟慮断行を為し得る人にして其の資格ありと言うを得べく、然らざるものは仮令甘く成功してもそれは 「当りぼっけ」 と言うものである。

 例えば、水道通過に際しては運用長は予め海図により水路や水深を能く研究し、応急投錨の処置を頭に描いて居ってこそ舵機故障 「錨入れ」 の号令があっても即断即決、錨鎖を伸すか其の侭止めて錨鎖を引摺るか適当なる処置を講じ、船を救い得るものにして、寺島水道の真中等で投錨したところで百米もある水深故只錨を捨てるか人を怪我させるかに過ぎないのである。

 又昭和5年 「阿武隈」 と 「北上」 が衝突せし如く、横陣の編隊航行中隣艦が舵機故障を起こして衝突して来たような場合、前々より自艦並に僚艦の突発的事件に対し常に之に即応し得る腹案があってこそ、即断即決、克く其の急を救い得らるるのである。

 大正14年一水戦の夜間発射運動中駆逐艦 「桂」 と 「萩」 は突然四点 (45度) 百米の近距離に出合せしとき、衝突を免れて触衝し僅かの損傷にて事済みたる如きは両艦長の危急に対する心の準備充分にして即断即決の処置適切なりしに依るものにして、平素の経験と修練とに依り自艦を救い得たるものと認む。

 従来、艦船擱岸坐礁等の状況を調査するに、其の多くは坐礁して始めて其の処置を考えるか、或は周章狼狽為すところをしらざるもの多きは、甚だ遺憾とする所にして、『運用作業教範』 第四章 擱岸坐礁処置法に明記しある通り、砂なれば何う、岩なれば斯うと平素よりの研究を積み、心の準備ありてこそ即断即決、適切なる処置を講じ得るものと信ずる。

 例えば、昭和9年某駆逐艦が岩礁に坐礁せしとき、驚いて直に後進原速を令し、推進器を坊主にしたるが如きは即断即決にあらずして、夢中無暴というべきではあるまいか。 又最近 「浅間」 が坐礁せるとき、若し直に離礁したりせんか、沈没は免れ得ざりしものと思う。

 要するに、海上勤務者は平素より各種の突発的事態に即応する研究を怠らず、仮令小事なりと雖も克く之れに善処し得る如く修練を積み置き、事に当たり動ぜず、立所に之が対策を定め躊躇逡巡することなく機宜善処し得る用意あることが肝要である。

 先輩は教えて曰く、「急に処し、拙速を尚ぶ真意は小の虫を殺して大の虫を生かす所以なり」 と。

 例えば、錨泊中荒天に際会し錨鎖を伸しても艦の絶対安全を期し難き様な場合には、泊地の広狭に論なく直に出港するのが万全の策にして、斯る際躊躇して其の好機を逸せんか、遂には救うべからざる窮境に陥るのは当然である。

 又斯る場合、揚錨又は捨錨の遑なき程危機切迫せば、錨を引摺りながら仮令錨鎖の切断を堵しても断然出港して大の虫を生かすに如かざるなり。
(続く)
posted by 桜と錨 at 13:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 艦船乗員伝統精神(完)
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