2011年03月24日

『艦船乗員の伝統精神』 − (3)

著 : 坂部省三 (元海軍少将、海兵37期)


  第一章 海上勤務の特殊性

 海上勤務に必要なる特質は、陸上に於けるものとは大いに其の趣きを異にし、海上独特の味合を有し、又修練を積まねばならぬ事項極めて多い。

 即ち、陸上における各種訓練は其の号令に於ても、亦操作にしても、常に劃線的気分と表現とを要求し、恰も 「スチールバー」 を聯想する如きこと多きも、海上に於ける作業は寧ろ 「スチールワイヤー」 式にして、柔にして剛、緩にして急を要求する場合多く、常に円滑にして角の無い号令と操作とを必要とするのである。

 例えば、一艦の危機に際会し急速大角度の転舵を要する場合に於ても、努めて尖鋭急激なる口調を避け一層落着たる態度を以て抑揚正しく円滑明快なる号令を下し、操舵員をして常に変わり無き操作を行なわしむる所に重大なる使命を有して居る。

 又短艇揚げ方に於ても、水切りは急に、終末は緩に、「弛め」 は静かに、「放て」 には急を要する如く玩味する程海上独特の興味を喚起するものにして、吾人は平素より之等の研究を等閑に附することなく、益々其の長所を伸ばすことに心懸けざれば、遂には艦内の号令も亦号笛の吹奏も無味乾燥に堕し、千変一律となり、随応随変の美風を滅亡せしむるに至るのである。

 殊に海上勤務者の特質として、今日迄先輩が遺されたる左記精神は、誠に貴重なるものにして一面矛盾する如き観ある所に価値あるものにして、克く其の本質を極め、常に之が修練を怠らず、事に臨み変に応じ、万遺憾なきを期さなければならない。


    第一節 注意力の特殊涵養

 古来、「注意力を集中せよ」 の金言は吾等の遵守すべきところなるも、海上に於ては、或る一事に注意力を集中する結果、他に欠陥を生じ思わざる危険を醸成したる例尠からず。

 故に海上勤務者は、四周万遍なき注意力の特殊涵養に努むると共に、分散式にして而も充分なる警戒力を保有しあるを要す。 故に先輩は教えて曰く、「注意は周密にし思慮を八方に配すべし、一事に心を奪わるる勿れ」 と。

 大正13年 「43号潜水艦」 が軍艦 「竜田」 と衝突沈没し、全員殉職の悲運に至りし其の主因は、襲撃目標に対し注意を傾注し 「竜田」 の行動並びに四周に対する警戒を疎かにしたる為なりと言う。

 其の他、或る一方、或る一事にのみ心を奪われ、衝突、触衝、坐礁等の例極めて多し。 殊に近時は視界狭小なる海面或は夜間訓練等に於て、各艦互いに高速無燈、而も不覊なる運動を敢行せざるべからざるを以て、操艦の任に当りしものは克く其の情況を知悉し、周到なる注意力を四周八方に配るにあらざれば、突発的事項に対し万全を期することは出来ない。

 右は、艦の保安に関することのみならず、日常の運用作業に於ても常に修練を疎かにする能わざるものにして、例えば、艦の動揺甚しき際 「メーンデリック」 (注1) を使用し機動艇を揚卸中、艇の状態にのみ気を奪われ 「ポルチェース」 (注2) の 「ツーブロック」 (注3) に気付かざりし結果、艇を堕落せしめ人命を損傷したる例あり。

 即ち 「運用の眼は八方に在るべし」 とは、誠に海上勤務者の味あうべき金言である。
(続く)

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(注1) : main derrick  デリックとは重量物を吊り上げて移動する荷役装置のことで、マストに取り付けられたものをメインデリックといい、艦船における典型的な構成例は下図のようなものです。


main_delick_01_s.jpg
( 「海軍兵学校運用術教科書」 より )

(注2): purchase  引き揚げ用滑車のこと。


(注3): two block  巻き揚げ索を引きすぎて上下2つの連繋した滑車が接触した状態になること。


posted by 桜と錨 at 20:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 艦船乗員伝統精神(完)
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