2011年03月23日

『艦船乗員の伝統精神』 − (2)


『 艦船乗員の伝統精神 』

 本書は先輩の教訓、講話等を熟読玩味し其の主旨に基きて本資料を纏め昨年度本府准士官以上に講演したるものにして、我海軍の伝統的精神 (良風) を明かにし、海上に生起する各種の事故を未然に防止し、併て艦艇の威容、乗員の躾等に関し常に厳正を保持せしむる目的に過ぎざるも、内容杜撰にして物足らず、先輩の遺されたる精神を徹底し得ざるを遺憾とするものなり。 希くば之を一段階とし将来更に改正増補を加え、海上勤務者の良参考書に更新せられんことを臨む。

     昭和12年1月

            海軍大佐  坂部 省三

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  緒  言

 吾々は、常に船乗の伝統精神と言うことを耳にするが、従来之に対して纒った文献も無く、一体何を指して伝統精神と謂ふのか誠に判断に苦しむ所あり。 茲に述ぶる内容も或は的を外れたる点なきにしもあらずやを憂ふる次第なり。

 然しながら昔より先輩の遺されたる各種の教訓、又は講演の資料等を熟読し其の精神を玩味すると、概ね落付くところに落付く如く認めらるるを以て、甚だ僭越ながら述べたいところを忌胆なく述べて見たいと思う。

 即ち海軍士官には特別に修練を要する精神がある。 此の修練は海上生活者として一日も疎かにすることを許さざるものにして、之を無視しては何遍でも同じ失敗を海上に繰返すと言うのである。 之を仮に海上勤務の特殊性と名付け、第一章に於て運用、航海術に関する範囲を以て述べたいと思う。

次に、海上に於ける大小各種の作業を実施するに当りては、古来幾多の教訓あれども、就中安全と経済とを離れたる海上の作業は其の価値極めて小なり。 之を海上作業の要訣として、其の要点を第二章に述べたいと思う。

 第三章は、艦船乗員の伝統的良風として艦の威容並に勤務と躾との二項に就き、先輩より口八釜しく教えられ戒められ来った吾々の心得とも嗜みとも称すべきものにして、吾海軍に於ても或期間甚だしき時代思想に捉はれ、艦船勤務の上下黙認或は暗示、放念等に流れ戒むべき所を戒めざりし積弊の余波が今日に及び、動もすれば貴重なる伝統的精神の忘れられんとすることを慮りて、茲に揚げたるものである。

 昭和9年10年に跨り、井上 「比叡」 艦長 (茂美、海兵37期) より運用術の堕落衰微に関し再三御注意を受けたことは未だ耳新しいことである。 曰く、

 「久振りにて軍艦に乗って見ると、例えば士官でも下士官でも銃口の位置の悪いのは矯正するが、短艇員の爪竿の取扱が間違っておるのを指摘し注意する者が一人も無い。 短艇を卸すにしても短艇索につく水兵の姿勢は見られたもので無い。 万事が此通りで金物一つ完全に磨けない。」

 運用術と言うものは其の範囲極めて広範にして、上艦長より下兵卒に至るまで総てが弁へねばならぬものであると言うことは誰しも承知して居るが、自分は船乗であると言う十分なる自覚の無い以上、只之を単なる常識として片付けて研究も努力もせず、自然指導も疎かになり、段々昔よりの遺風も戒めも薄らぎ遂には非常識の船乗が沢山殖へると言うことになる。

 極く最近に於ても、「浅間」 や 「浦風」 が坐礁し、又潜水艦の短艇が一度に二隻も沈没して艦長が溺死したこと等、例年繰返しつつある運用航海に関する各種の事故頻発は勿論、大にしては昭和11年聯合艦隊が寺島水道に於て際会せる荒天には大被害と大混乱を惹起して居る。 其の他の小事故は毎日幾つとなく繰返されつつあることと思う。

 大谷中将は 「運用の妙は一誠に在り」 と言われたが、此の至誠さえあれば艦上に住むものにとっては四六時中考えれば考える程、見れば見る程、心を用いなければならなぬことが目の前に一杯展開して居るので、運用も躾もつまらないものだと考える様な人があれば、其れは畢竟至誠が無いからであり、又心眼が開かれて居ないからであって、海軍軍人とは名ばかりであって陸軍軍人も余り変りない人であると言うことになる。

 苟も海軍軍人と銘を打たれ軍艦に乗って戦争をする以上、仮令如何なる術科の専門家にせよ、又如何なる配置にある人にせよ、平素より此根本精神が緊要にして、若し之を誤り本末顛倒の考えを持って居る人が集まったとすれば、其の海軍は到底戦争には勝てないものであると言われたことは、昔からの伝統精神の根底をなして居るものと信ずる。
(続く)
posted by 桜と錨 at 18:20| Comment(2) | TrackBack(0) | 艦船乗員伝統精神(完)
この記事へのコメント
桜と錨様。
新たな資料のご紹介、ご苦労様です。

今回もまた往年の海軍の中にあった、戦時に限らない物の考え方、捉え方といった物が垣間見れる機会が得られそうで、拝見させて頂く方としても嬉しい限りです。

私事で恐縮ですが、私の職場でもよく「○○イズム」といった言葉で、会社の独自性や基本精神を従業員に意識させる場面が相応に有るのですが、その根本とはいかなる物で、どんな道理で構築されているのかを自分なりに見つめ直すにあたり、ご掲載の資料は大変良い参考となりそうです。

昔の偉い人がなどという観点ではなく、帝国海軍という大変に大きな組織ではどのようにして在ったのかを、今後とも楽しみにしつつ勉強させて頂きたく思います。

震災の件もありご多忙かと思いますが、以降の更新も頑張ってください。
Posted by じょっぱり at 2011年03月24日 01:08
じょっぱりさん、こん**は。

ご存じのとおり船の上というのは大変に危険なものです。 このため船乗りは様々な事態に遭遇し、そして色々な事故を起こしつつ、一つ一つその経験と反省を積み上げて、いわゆる 「シーマンシップ」 なるものを築き上げてきました。

ここでご紹介する 『艦船乗員の伝統精神』 や先の 『運用漫談』 などはその “エッセンス” といえます。

逆に言えば、一般の方々にとっては本資料の副題である 「海上作業の特殊性」 を知るための恰好のものであると思います。

お楽しみいただければ幸いです。
Posted by 桜と錨 at 2011年03月24日 20:42
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