2011年03月11日

安保清種の砲術 (3)

 「三笠」 砲術長 安保清種の砲術について、続いて日本海海戦初日である明治38年5月27日当日の射撃の状況を 『三笠戦闘詳報』 の記述から抜萃して、時系列的に見ていきます。

第1次右舷戦闘

  2時07分  敵の先頭を圧しつつ左に回頭
  2時10分  射距離6千4百に至り嚮導艦 「スワロフ」 型に向て 右舷6尹前砲台
           の一斉試射
  2時11分  6千2百に至り右舷砲台の 並射撃 を開始 徹甲鍛鋼交互に発射
  2時21分  4千9百の射撃距離に到り一時 急射撃
  2時22分  射距離4千6百に於いて12听砲員を砲に配し専ら旗艦を射撃
  2時28分  並射撃 に復す 距離5千4百乃至5千7百
  2時40分  距離5千7百米突 我前部の12尹砲及び6尹砲毎発殆ど空弾無く目標
           は其の爆煙に包まれて認識し難く
  2時41分  一時打方を待つの止むを得ざるに至る
  2時47分  嚮導艦の我に向首し来るに対し射距離5千8百猛烈なる縦射を加う
  2時53分  左16点の変針と共に右舷戦闘を止む

第2次左舷戦闘

  3時11分  敵艦隊と反行射距離5千3百敵の戦闘に対し左舷砲火を集中
           嚮導艦 「スワロフ」 最近2千6百に及ぶ
  3時23分  2千9百の射距離に於いて最近戦艦 (嚮導艦と同型) 我顕著なる命中
           弾
          12听砲火は専ら 「ナヒモフ」 (距離3千3百) に集中
          目標の戦艦距離次第に遠ざかりしを以て全砲火を 「ナヒモフ」 に転じ射
           距離3千9百乃至4千2百に於いて一時之を猛射せしむ
  3時30分  射距離漸次遠ざかりしにより左舷の発射を止む

第3次右舷戦闘

  3時45分  左16点の変針を行い同行にて右舷戦闘となる
  4時01分  6千5百頗る好目標なる3煙筒の 「ヲスラビア」 を砲撃す
           次いで目標を当時戦闘に位置せる 「ボロジノ」 型に換ゆ
  4時07分  6千2百の射距離にて 「ボロジノ」 型を砲撃中前部12尹弾筒発したる
           の形跡あり直ちに筒中を検せししも異状なかりしを以て発砲を継続せり
           射距離は漸次減じて5千7百に至る
  4時10分  更に目標を換え嚮導艦 「スワロフ」 を猛撃す 射距離5千6百弾着最も
           良好
  4時13分  後部12尹砲弾筒発せるものの如く砲口近く海面に弾片飛散し濃煙を
           発す
  4時20分  射距離3千8百弾着良好殆ど艦外に落弾を認めず
  4時29分  弾薬の浪費を顧慮し 徐射撃 をなす
  4時35分  右舷戦闘を止め左8点変針続いて右8点に針路を変す

第4次右舷戦闘

  5時00分  三々五々隊を乱せる敵艦隊中2煙突の右翼艦 (戦艦の如し) に対し6
           千5百の射距離に於いて砲火を交え
           次いで5千米突なる2檣3煙突の仮装巡洋艦 (仮巡ウラル?) に目標
           を変更
           4千百に近づき猛火を注ぎ一時爆煙の為目標明らかならざるに至れり
           一時打方を中止せし
  5時18分  敵の最も左翼なる2煙突の巡洋艦を4千4百に発見し之を砲撃す
  5時28分  右舷戦闘を止め右16点の回頭

第5次左舷戦闘

  5時32分  射距離5千2百米突なる工作船 「カムチャッカ」 に対し 徐射 を行う
           次いで第4次右舷戦闘にて撃破したる3煙突の仮装巡洋艦型を射距離
           4千に近づくに至り全砲火を之に集弾し2千米突の近距離に肉薄接近
           するに至る迄連続最も猛烈なる砲火を継続す
           47密砲亦た之に加わり
  5時42分  其全く戦闘力を失わるるを見て小口径砲の外発砲を中止す
  5時52分  左舷艦首4千に敵駆逐艦を発見し小口径砲を以て之を砲撃
  5時57分  戦艦4隻単縦陣にて吾と同航6千3百米突の射距離より我左舷砲火を
           其先頭 「ボロジノ」 型に集弾
  6時04分  前12尹右砲筒発せるものの如く天蓋の前部及び砲身の一部破壊し廃
           砲に帰せし 左砲のみを以て砲火を継続
           先頭艦は我命中弾の爆煙に蔽われ照準し能わざりしを以て目標を2番
           艦に換え之を猛撃
           次いで再び先頭艦に復せしも当時夕陽に面し弾着の識別明瞭を欠きし
           を以て 徐射 となす
  7時04分  我が12尹弾の命中頗る良好
  7時10分  日没に垂んとする時本艦の砲火を止め戦闘中止

太字 は管理人による)

 以上は 『日本海海戦戦闘詳報 第一号』 (三笠機密第151号、明治38年6月10日) 中の第5項 『砲銃水雷の射撃及其威力』 を中心にして抜萃したものです。

 さて、これのどこをどう採ったら 「一斉打方」 を実施していたことになるのでしょうか?

 それどころか、ご覧頂けば容易にお判り頂けるように、この戦闘詳報に記されているものは、まさに 「加藤寛治の砲術」 でご説明してきた艦砲射撃そのままであることは明らかです。

 ましてや 『別宮暖朗本』 の著者の言う

 『三笠』 の12インチ主砲は、2時15分の第3斉射で夾叉を与えたものと推定される。 そこからは命中弾は連続する。 東郷平八郎は 「だいたい5〜6発目が一番よく当たる」 と後年語ったが、まさにこのときである。 (p300) (p311〜312) 

『三笠戦闘詳報』 によると、それ以降、12インチ砲及び6インチ砲毎発は、ほとんど空弾なく命中したという。 これが斉射法の威力であるが ・・・・ (後略)
(p300) (p312) 

太字 は管理人による)

 など何の根拠もない全くの “デタラメ” に過ぎないことがよくお判りいただけるでしょう。 よくこんな “大ウソ” が平気で書けるものと。

 これは “素人の書いたものだから割り引いて” で済ませられるような話しでは決してありません。 素人であろうと無かろうと、この著者が全く “知らない” “判らない” “調べていない” からだけのことです。 そしてその無知を棚に上げての “空想” “妄想” を書き連ねる。 挙げ句の果ては司馬氏や海軍軍人に対する謂われ無き暴言。 お粗末に過ぎます。

 もちろん、この射撃内容に限らず、開戦劈頭の敵前大回頭 (東郷ターン) や丁字戦法を含む日本海海戦の砲戦全体についても、この 『別宮暖朗本』 の記述は “デタラメ” ばかりなのですが、これについては後で別の項を設けて一つ一つ実証することにします。
(この項続く)
posted by 桜と錨 at 19:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 砲術の話し
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