2011年03月05日

安保清種の砲術 (2)

 『別宮暖朗本』 の著者以外にも、現在でも旧海軍が日本海海戦において 「一斉打方」 を行ったと主張する人がいます。 その代表が先にもお話しした遠藤昭氏です。

 遠藤氏のその主張の根拠とするのは次の2つです。

     1.明治38年4月の英海軍 Thring 大尉の来日 (「変距率盤」 の持参)
     2.明治38年4月17日の連合艦隊司令長官訓示

 英海軍大尉の来日については、既に本家サイトの 『砲術の話題あれこれ 第1話』 で述べているところで、この大尉の来日そのものはその事実があったとしても、ただそれだけのことに過ぎません。


 またその大尉が 「変距率盤」 を持参したとする話もまったく根拠がありませんし、かつ本ブログでもお話ししてきました様に、「変距率盤」 だけでは 「一斉打方」 が可能になる訳ではないことは、皆さん既にご理解いただいていると思います。 (しかも例え持参したとしても、一つや二つでどうなるのかと。)


 そして遠藤氏が主張する2つ目の根拠が、『戦闘実施に就き麾下一般に訓示』 と題する明治38年4月17日付けの 『聯隊機密第276号』 です。 氏はこれによって 「独立打方」 から 「一斉打方」 への転換が命ぜられ、連合艦隊は一斉にこれを実施したとしているものです。

 本当なんでしょうか? 今回はこれを検証します。

 その 『聯隊機密第276号』 ですが、原文はこれです。

rentai_276_02_s.jpgrentai_276_01_s.jpg

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 全5項目のものですが、注意していただきたいのは、これは連合艦隊全将兵に対する東郷平八郎の 「訓示」 であると言うことです。 即ち、間近に予期されるバルチック艦隊との決戦を控えて、連合艦隊の最高指揮官としての所信と要望を述べたに過ぎません。

 当然ながら 「訓示」 は、命令でも指示でもありませんし、戦策や法令を規定したものでもありません。 これをもって打方の変換命令を出したと解釈するのは、どの様に考えても無理があるでしょう。

 そして、この5項目中、遠藤氏が指摘するのがその第4項です。 改めてその全文を示します。

四、実戦及び射撃の経験に依るに 一艦砲火の指揮は出来得る丈け艦橋にて掌握し射距離は艦橋より号令し砲台にて毛頭之を修正せざるを可とす 殊に実戦に於いて其然るを覚ゆ 砲戦酣なるときは一艦各砲の弾着は素より各艦の砲弾一所に集注し其何れが我が弾着なるや分別する能わず 故に 一艦の全砲は同一の射距離にて発射し 其弾着を見て全砲の射距離を修正するを要す 斯くするときは艦橋よりの射距離不当なる場合には全砲弾を失うと雖も適良なれば全砲弾の命中を得結局の統計に於いて命中公算を増加すること疑うを容れず

又魚雷攻撃は水雷其物の機能に往々欠点あると、発射位置を得るの難きと、夜中敵艦の針路速力を測定するの困難なるとに依り其奏効を不確実ならしむ、然れども肉薄攻撃するときは距離の短縮に依り前記の三欠点を消滅せしむ、由来我が水雷攻撃の結果不充分なるに就いては世界已に其評多し深く戒めざる可らず 若し夫れ連繋水雷に到りては大なる技能を要せず唯だ断然敵前を一通過するにあるのみ

 ( 太字 は管理人による)

 後半は水雷戦に関するものですからご説明は省略するとして、さて、この前半部分のどこをどの様に解釈したら、遠藤氏が主張する東郷平八郎が命じたとする 「独立打方」 から 「一斉打方」 への変換命令になるのでしょうか?

 “艦橋において砲火指揮を掌握する” ことも、そして “射距離は艦橋より号令する” ことも既にご説明してきたところですので、これが 「一斉打方」 を示すものではないことは皆さん十分にご理解いただいているものと思います。

 しかも、ここで東郷が訓示として言っているのは “出来得るだけ” であり、“可とす” です。 “絶対に” とも言っておりませんし、“べからず” とも言っておりません。

 ましてや、“全砲は同一の射距離にて発射し” とは言っていますが、“一斉に発射し” とも “斉射をもって” などとは一言も言っていないことにも注意して下さい。

 これを要するに、この 『聯隊機密第276号』 は 「一斉打方」 とは何の関係もないと言うことです。

 したがって、遠藤氏の言う

 T大尉が日本側にイギリス海軍の研究成果を伝え、新兵器の 「変距率盤」 (the tool of rate of change of range) の説明をしたのが、翌4月15日。 そして日本側が対策会議を開催したのがその翌日の4月16日。 この日、東郷大将は今の日本式の射撃法 (「独立打ち方」) を廃止し、イギリス式の射撃法 (「一斉打ち方」) に変更することを決意した。 大将の決意は4月17日に連合艦隊全員に布告 (聯隊機密276号) された。 まさに、日本海海戦の40日前であった。
( 『戦前船舶 号外』 (平成16年10月) 6頁 )

 などは、何の根拠も伴わないちょっとお恥ずかしい限りの空想で、これで 「一斉打方」 を主張するのは全くもって無理な話しですね。

( そもそも、この時連合艦隊では 「聯隊日命第16号」 に基づいて4月10日から順番で常装薬艦砲射撃を実施中です。 そして4月17日には東郷は 「八雲」 「吾妻」 の射撃を視察しています。 「一斉打方」 への転換を命じたのであるならば、一旦中止をして、その転換を完了したところで改めて行うのが当然の筋です。 戦時中といえども年に1〜2回程度しかない、訓練の総仕上げとも言うべき貴重な常装薬射撃を、漫然と継続する訳がありません。 たったこの1点をもってしても、遠藤氏の主張は誤りであると簡単に断言できます。)

 そして、ダメ押しの文書です。

 “射距離は艦橋より号令し砲台にて毛頭之を修正せざるを可とす” というのがどの様な意味なのかは、既に 『加藤寛治の砲術』 のところでも詳細にご説明したところです。

 ところが、この東郷の訓示で “毛頭之を修正せざるを” と言ってしまったものですから、やはり多少の混乱があったものと考えられます。

 現場の砲術長以下にしてみれば別にどうと言うことはないのですが、艦隊内、特に艦長が砲術畑でない様な場合などには、例え訓示とはいえ流石に司令長官の一言であるだけに、その解釈を巡って砲術長・砲台長との間で色々問題が発生したであろうことは容易に想像できます。

 そこで、5月3日になって改めて出されたのが、次の 『聯隊法令第24号』 です。

rentaihourei_24_01_s.jpg

 これは 「法令」 ですから、先の「訓示」と異なり、従わなければならない事項について具体的に規定されています。 これによって、艦橋より令される射距離の意味も明確に定義され、誰がみても解釈に齟齬が生じないようにされました。

 内容は既にご説明してきた当時の砲術の要領そのままであり、改めてそれを連合艦隊として正式に追認したもの、ということです。

 そしてこれはつまり、日本海海戦においては 「三笠」 を始め連合艦隊のどの艦たりとも 「一斉打方」 は実施していないという証明でもあります。

 遠藤氏を始め 「一斉打方」 実施を主張する人達は、先の 『聯隊機密第276号』 を探し出してきてそれを根拠にしたものの、ここまでは誰も調べていないんですよね。 (というより、例えこの文書を見つけたとしても、その意味が判らなかった?)
(この項続く)

(注) : 本項で使用した各画像は、総て防衛省防衛研究所が保有・保管する史料からのものです。

posted by 桜と錨 at 11:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 砲術の話し
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