2011年02月24日

『運用漫談』 − (49)

著 : 大谷幸四郎 (元海軍中将、海兵23期)

  その17 (承前)

 船堂生大湊要港部司令官の時 (大正11年〜12年) である。 所属駆逐隊の恒例検閲を行ひ、青年将校に就て保存手入の要領を試問したが、其の答が振つて居る。 曰はく、駆逐隊の生命は十年である、本艦は建造以来既に七年を経過して居る故、残る所は僅に三年である、故に錆止め抔する必要は無い、寧ろ其の時間を以て専ら戦術訓練に利用するに加かずと。

 自分は其の餘りに打算的なるに驚き、其の教育日誌を調べ、如何程の戦術的訓練が行はれて居るかを見たるに、殆んど皆無であつた。 かう言ふ手合は口先きばかりは旨いが、實行は皆無と言ふ連中であるが、今日の全海軍に渉り斯の如き徒は果して居ないのであらうか? 聞き度いものである。


 艦船壽命の事に就き現 「三笠」 艦長池田大佐 (武義、海兵32期) の實験談を聞いたから略述する。

  大正十三年頃であったと思ふ、大佐は大正十二年末第二十一駆逐隊司令として佐世保に赴任したが、當時第三豫備艦たりし二十一駆逐隊は其の保存手入誠に不充分なる點ありしも、其の儘命に由り旅順に回航し、極力手入に従事したるに、某駆逐艦の兵員室の水準線附近に漏水するを發見し、直に内張りを外し検査したるに附近一帯の外鈑の腐蝕甚しく、荒天の航海等に堪へ難きものあるを覚え、艦齢未だ十年に足らざるに係らず、既に此の如き状態にあるに驚き、各艦長をして徹底的に腐蝕部を調査せしめたるに、水準線附近に於ける下甲板と外鈑との接触部には衣服箱やソッファーや、机若くは戸棚等固著的に取附けあり、是を取脱すに非すんば其の部の手入不可能なる爲め、建造以来全く手を着けざる有様にあるを發見したるに由り、佐世保歸港後其の詳細の状況に意見を附し、鎮守府に報告すると共に全海軍の駆逐艦に通告し警戒された。

 之は發表すると、よく分るのだが、茲に之を差し控えねばならぬことを遺憾とする。 夫れより大佐は横須賀鎮守府附第一駆逐隊に轉任され、その筆法で調査を行ひたるに、前記の駆逐隊と同様の状態に在るを發見し、之を鎮守府長官に報告したるに大に是認する處と成りしが、何分にも時間と人員不足の爲め十分の手入を爲す能はず、種々講究の結果、遂には在港艦船毎週一日の夜間訓練を行ふ事と成り、當日は総員の上陸を止め、総員にて艦内手入に従事すると言ふ例を開くに到つたのである。

 大佐は夫れより巡洋艦 「由良」 に轉じ、更に 「扶桑」 に轉じたるが、到る處右の筆法で調査したるに之れ又た同様の状態であり、到る處の當局者を警醒したのである。
(続く)
posted by 桜と錨 at 17:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 『運用漫談』(完)
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