2011年02月22日

『運用漫談』 − (48)

著 : 大谷幸四郎 (元海軍中将、海兵23期)

  その17 (承前)

 船堂生其の後水雷学校々長と成り、教材用魚雷の實況を調べたるに、其の大部分が工廠にて修理中、甚しきものは、三年も工廠に在りて未竣工であると言ふ有様であつて、教材の整理困難を感するのみならず、使用魚雷も時には不足を感ずると言ふ事を聞き、前述の事例を思ひ出し早速造兵部に交渉し、学校の魚雷分解教場に職工を派遣してもらふ事にし、修理魚雷を未修理の儘受取り来り、教材としてドシドシ分解し修理せしめたるに 間も無くして教材一切の整理が出来た。

 其の後も比の方法を續けたが之に依りて教育費に多大 (其の精確なる數字を忘れたるを遺憾とす) の節約を得たのみならず、練習生の魚雷修理工業上の知識を組織的に完全に向上せしむる事を得たのである。

 以上の二例は艦隊竝に学校の魚雷分解手入場が造兵部と壁一重の陸續きにして、而かも近距離たりし爲め、容易に行はれたるものにして、艦船等に於ては實行困難なるものあらんが、工廠と艦船との通常なる妥協に依り、艦船に魚雷職工を派遣するか、又は工廠の魚雷修理工場の一部を割きて艦船乗員の魚雷手入作業に充當する等の方法を講ずる事とせば、相當の成果を挙げ得べしと思ふのである(此種の方法は目下實行せられてゐるかと思ふ)。

 又た此のプリンシプルに準じて艦船の一切の修理に應用せんか、修理費の節約と其の所要日数の短縮は蓋し豫想外のものあるべしと信ずるのである。

 坂本 (一) 将軍 (海兵7期) (注1) が横須賀工廠長の時 (明治43年〜大正元年) の事である。 将軍のお話に依れば将軍は一週間以上の修理日数を要する艦船は必ず陸岸に横附せしめる事とされた。

 然るに多くの艦船長は餘り陸岸繋留を好まない、夫れは教育訓練上の都合や取締上の都合から来てゐるのであるが、斯くの如き艦長に對しては将軍は常に、『陸岸繋留にすれば一週間内で修理が出来るが浮標繋留なれば一箇月を要する。 夫れでも宜敷いか?』 と言うて聞かされると、何れも皆な悦んで陸岸繋留をした。

 その副産物として横須賀港務部員の艦船繋留に関する運用術が非常に向上したとは當時港務部員たりし某大佐の實話である。

 今一つの事例は軍艦 「扶桑」 が進水して呉の繋船堀に於て艤装中の話である。 常時繋船堀は其の突堤の長さが短かかりし爲め、「扶桑」 の約半身は海中に突出して居たが係り技術官の談に據ると、此の海中に突出し居る部と否らざる部との間に、工事の進捗能率上豫想外の差があるとの事であつた。 職工使役上大に考ふべき事である。
(続く)

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(注1) : 以前もお話ししましたが、旧海軍では 「提督」 と 「将軍」 という言葉を使い分けていました。 即ち現に艦隊などの部隊指揮官配置にある将官を 「提督」 と言い、それ以外の配置の将官は 「将軍」 と呼びます。 海軍の将官であれば誰であっても 「Admiral」 という意味で総て 「提督」 と言った訳ではありません。


posted by 桜と錨 at 18:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 『運用漫談』(完)
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