2011年02月21日

『運用漫談』 − (47)

著 : 大谷幸四郎 (元海軍中将、海兵23期)

  その17

 修理費をフンダンに掛けて保存手入が出来得れば文句は無いのであるが、夫れでは運用の用は無いのである。 そんな考へでは幾ら修理費を費やしても、ホントの修理は出来ないのみならず、浪費に終るのが常態である。

 ネルソンが洋中で無け無しの材料で修理手入した艦隊が、ツーロン港内で修理費に厭かして完備した佛国艦隊に勝つた事は前に談した通りである。

 修理費は如何に少額でも国民の粒々辛苦の結晶である。 之を消費する吾人海軍々人たるもの豈に夫れ苦心惨憺せずして可ならんやである。


 船堂生第二艇隊司令の時 (明治42年) である。 第二艇隊は横須賀鎮守府所属で長浦に繋留するを常として居た。 長浦には第一第二第三水雷艇隊の外に駆逐隊三隊が碇泊して居り、其の魚雷の分解手人や調整等は全部陸上の魚雷調整場で行はれて居た。

 此の調整場へは常に一名の伍長と、一、二名の職工が派遣されて居り、魚雷の具合の悪い處や破損した處があれば共の場で之を修理し、若し其の場で出来ないものがあれば其の部分丈け外づし、便宜の時に工場に持ち行き修理して来ると言ふ具合にやつて居た。 勿論之が爲には修理請求手續きは済ましてあつた。

 此の方法は誠に妙であつた。 魚雷職工と水兵と混じり合うて魚雷を整備するので、水雷兵の魚雷工業能力が非常に向上するのみならず、魚雷修理費を多分に節約する事が出来た。

 此の考は時の造兵部の先任検査官河田 (勝治) 中佐 (海兵17期) の著想であつたと聞いて居る。 何でも中佐のお話では年に四萬圓程度の修理費の節約が出来ると言はれて居た。

 艦船兵器修理規程に依れば、魚雷の修理を要する時は其の缺損部を指摘して修理請求書を提出し、魚雷を工場に送る。 工廠にては之を運搬し、作業の順次が来る迄は魚雷格納室に置く。 週間手入や月次手入を行ひ、愈々其の修理に着手せんとせば再び運搬工を使役して修理工場に運び、分解調査の上缺損部を修理し結合調整の上、之を格納庫に送り返へし、始めて修理竣工の通知を艦船に發し、艦船からは之を受取りに行くのである。

 即ち魚雷機構の一部缺損を修理する爲め、魚雷全體の運搬から分解結合調整諸手入まで全部工場の事でやるから、共の工費の増大する事推して知るべしである。

 然るに前述の方法に由れば、是等の費用は一切水兵の手でやり、且つ修理請求の前に一應水兵の手でやるべきものなるを以て、何も二重手間にもならないのであるから、言はゞ工廠の手間は全く無駄の手間と言ひ得るのである。

 漫然として繁文縟禮の奴隷と成り、空々寂々何の無す無き徒と、一寸頭を働かせる人との差は右の如き千里の差と成るのである。
(続く)
posted by 桜と錨 at 19:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 『運用漫談』(完)
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