2011年02月19日

『運用漫談』 − (46)

著 : 大谷幸四郎 (元海軍中将、海兵23期)

  その16 (承前)

 艦内の整頓に當りては工廠の力を借りる他力主義を廃して、何でも自力更生主義で行く事が大いに必要である。

 「扶桑」 の梯子も其の一例であるが、第一に反省すべきは艦内の機械工場の設備である。 其の立派なる事は民間中流の鐵工場に勝るものがある。 夫れを知らずにアレも工廠コレも工廠と言うて修理請求を山の様に出して平然たるものがある。 近頃は艦内工業が大變奨励されて居ると聞き悦ばしいが、「扶桑」 艦長の時の一例をもう一つ書いて見よう。

 大正九年の末である。 「扶桑」 は艦隊作業を終つて呉に歸港して乗員は休暇を許るされて居た處、皇太子殿下が 「鹿島」 かに召されて瀬戸内海を御通過に成らせられ、大三島神社御参拝と言ふ事に成り、其の時の御上陸用として 「扶桑」 の水雷艇を使ふから出せ、と言ふ命令が下つた。

 「扶桑」 の水雷艇は艦隊で猛烈に使用せし爲めメチヤメチヤに汚れ、殊に煙突は其附根のフレンヂが折れてワイヤーでステー (注1) を取つて居り、総て是等は修理請求中であつたから、此の様な不様なものを御目に掛ける事は艦長として堪へ難い處である。

 「鹿島」 にも水雷艇がある、鎮守府にも長官用があるぢや無いかと色々文句を言ふたけれ共、「扶桑」 から是非出せ、外のは皆いけないと言ふ。 夫れなれば工廠で煙突丈でも修理してくれと言ふと、二週間を要するが御召の時は一週間に迫まつて居るから工廠では出来ないと言ふ。

 餘り馬鹿々々しいので、ヨシ引受けます、と言うて機関長に右のフレンヂを作り直せと言ふと、大きいから艦内で鋳物が出来ないと言ふ。 夫れなれば防備隊の工場を借りたらよいと言ふと、兵員が上陸せねばならぬから人手が不足だと言ふ。

 ヨシ夫れなれば機関部の工業員は上陸止めだと言ふ事で晝夜兼行でやる事と成つたが、夫れ迄やつた事の無い大鋳物であるから、三度失敗して四日目に漸く出来、其の間に艇内の掃除手入も出来、煙突もヒシャゲた處を打ち直ほし、まるで新造の様になり、ピカピカする様になつた。 愈々仕上げて見ると實に立派だ。

 そして立ち所に御用を勤め了り長官からほめられた。 工廠の連中をも驚かしてやつた。 早速機関長を呼んでエ業員を大に賞揚し、全員に七十二時間の臨時外出を許るしてやつた處、工業員も大悦びであつた。 やればやれるものだ、又た十分やる設備と腕とはあるのだ。


 船堂生第一水雷戦隊勤務中の事である。 八月頃で艦隊の軍港歸還期迄には二、三ケ月を剰してゐる時であつた。 麾下某駆逐艦が横附けの際カッターを破損せしめたと言うて修理を請求して来た。

 其のカッターは半舷を無くして居るので、旗艦の船匠師も手の附け様が無いと言うて修理不可能、軍港歸還迄旗艦に預かる事とすると言うて報告して来たから、夫れはイケない、駆逐艦のカッター位ゐは旗艦で造る位ゐの能力がある筈だ、幾日掛つてもよいから艦内で修理せよと命じたるに、一週間を要せずして修理が出来た。

 此度で一寸附言する。 昔は斯様な作業は艦内では不可能として居たが、艦船に鋸機械が備へられ、随意の技が出来る様に成つたので、容易に斯様な事業が出来るのである。 船匠長の不可能と言ふたのは畢竟昔の隋力である。 頭の進歩と言ふ事が必要である。
(続く)

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(注1) : stay  支索、維持索のこと。
posted by 桜と錨 at 14:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 『運用漫談』(完)
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