2011年02月09日

『運用漫談』 − (41)

著 : 大谷幸四郎 (元海軍中将、海兵23期)

  その14 (承前)

 船堂生少尉の時分である。 魚雷の機構は餘り復雑して居るので、其の分解手入や結合調整は、頭の粗雑なデッキ将校や水兵の能はざる處であるとでも思はれたか、魚雷掛りの機関官を置き、殊に魚雷に関する教育を受けた機関兵曹を水雷手として配せられ、是等機関部員が魚雷の機関手入から調整まで総て行ひ、發射管の手入と装填發射のみが水雷長と水雷部員の任務であつた。

 従て魚雷發射に際し故障でも起きると、責任争ひが起るのみならず、魚雷の成績は一向振はないのであつた。

 常時某巡洋艦の水雷長で、殆んど病的に責任を恐るゝ人があつた。 此の水雷長は嘗て水雷艇を衝突沈没せしめ、多数の殉職者を生ぜしめた辛き體験を受けられた人で、其の責任回避癖は大に同情すべきものとされて居つた。

 此の巡洋艦が伊勢湾で魚雷發射を行ふた時の話である。 水雷長は自から標的を照準し、發射し、魚雷が水面に落るや否や直に艦橋より駈け降り、甲板の煙草盆の處に来り 『魚雷の水面に落ちる迄は自分の責任である。 夫れ以上は水雷機関士の責任であるから自分は知らない』 と言ひつゝ、スパ!スパ!と煙草を燻ゆらし、魚雷が偏斜しようが、沈没しようが我れ関せず焉で平然として居られた。 是れは極端な一例である。 責任を分擔する事にすると、斯の如き無責任観念に堕するものである。


 現在飛行隊の構成に就て見るに、其の操縦搭乗員と準備員とを全く別々にして居り、其の成績は誠に立派に挙げられ居るので、門外漢たる船堂生の何等杞憂を要せざる處であるが、何とかして操縦者自からが、自己受持の飛行機を自から準備し得る様にし、又た自から準備すべきものとせば、更に好成績を挙げ得るに非ずやとは、船堂生の永年懐抱する處の疑問である。


 談が脱線して責任論に成つたが、序でに艦船保存手入と責任と言ふ事に就て今少しく述べる。

 昔は保存手入は殆んど総て副長と甲板士官の仕事の様に思はれ、精励なる副長は甲板士官と共に朝から晩迄跣足で艦内を走り廻はつたものであつたが、現今は分隊受持と成り、各分隊長は其の受持區域の保全に関して責任を持ち、副長は之を総括すると言ふ事に成り、萬事整然と成つた様だが、果して理想通り行はれて居るか。

 第八項に於て船堂生は、始めて駆逐艦長を拝命したる友人に、螺子一本の折損と雖も其の原因の何たるを問はず、総て艦長の責任であると心得よと忠言したと言ふたが、此の考は今日でも少しも變らない。

 艦長は副長に委任し、副長は分隊長に一任し、分隊長は又分隊下士に一任して顧みず、保存手入は只だ日課喇叭の號音に依つて機械的に行はるゝのみと言ふ様な艦は果して無いか。

 分隊長は終日其の受持區域を見廻はり自から手入作業を監視し、副長は巡検其の他に由り一般を監視し、艦長は週一回の艦内巡視に依り更に之を監督し、司令官は年一回の恒例検閲に依り艦隊全部の保存手入の當否を検すると言ふ事に成つて居るので、保存手入に関する制度は至れり盡くせりであるが、果して夫れが何程の熱を以て行はれて居るか、大に一般の反省を望まざるを得ない。


 船堂生 「敷島」 艦長の時 (大正6年〜7年) であつたと思ふ。 一日作業後に後甲板に立つて居た。 甲板掃除の號音に従ひ甲板は掃除され、甲板士官は 「宜シー」 と當直士官に報告し、當直将校は休憩の喇叭を吹かせんとしたから、自から一寸之を待たしめ、更に甲板掃除の喇叭を吹かせた。

 再び掃除し再び 「甲板宜シー」 と届けられた。 三度甲板掃除の喇叭を吹かしめた。 三度掃除し三度 「甲板宜シー」 が届けられた。 一同は變な顔附きをして居る。

 依つて総員を集めて只今三度甲板掃除を命じた、一同は變な顔附きをして居るが、三度掃除して三度共殆んど同量の塵が集まつたでないか。 軍艦の甲板掃除は役者が舞臺で行ふ掃除とは異なる處が無ければならぬ、と言うて訓戒した處、夫れから甲板掃除が徹底味を帯びて来た。

 現今艦隊各艦の保存手入が此の 「敷島」 の芝居的甲板掃除に堕して居るものは無いか、敢て皮肉くる次第ではないが問ふて見たい。
(続く)
posted by 桜と錨 at 17:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 『運用漫談』(完)
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