2011年02月03日

『運用漫談』 − (38)

著 : 大谷幸四郎 (元海軍中将、海兵23期)

  その13 (承前)

三、郡役所廃止せられて間も無き事とて、地方町村と縣當局との連絡極めて悪しく、當時京都府知事は内務部長警察部長等を率ゐ宮津に出張せしも、何村が何れに在り、其の住民幾何、其の交通路如何等は、殆んど不明にて手の附け様なき有様であつた。 此の様な事にて一朝有事の際、果して如何、寒心に堪へざるものがあると思はしめた。

今ま若し郡役所あり、郡長ありしならんか、地方情況は手に取る如く知られて、如何に救護を利したか抔考へ、郡役所廃止の有害無益なりし事を痛感した。 (郡役所廃止されて町村の経費は却つて増加してる。)  其の後市町村と縣との連絡大に進み、警察に由る連絡も大に改善せられたが、今尚ほ郡に比すべき中間機関の設立を望む聲朝野に絶えざるものあるは、蓋し止むを得ざる事なりと信ずるのである。


四、震災後第四日であつたと思ふ。 先任参謀をして網野より岩瀧に至る激震地を徒歩横断せしめ、始めて精確なる情報を得て一般の救護作業を利した。 又た第七日目のことである。 自分は自動車を駆つて道路を修繕しつゝ、岩瀧より網野の隣村鳥取村に出でたるに、到る處の住民は自動車の聲を聞き、救援の途開けたるを知り頗る安堵した。


五、奥丹の地震の時は先例の有る事とて、全國よりの救援施設が理想的に殺到した感ありしも各地より来る救護班の中には高い旅費日當を取り、眞新しいショーベルを擔ぎ、仕事の命令が無いからと言うて毎日々々ブラブラ歩き廻はり、丸で地震見物の様な有様で、之れに宿所を用意し糧食の配給の世話もせねば成らぬので、却つて被害地の厄介と成つたものが多かつたが、此の時舞鶴の兵員と職工は、殆んど自費で出張し、片端から道路を修繕し、倒壊家屋を起こし、負傷者を救護したので、海軍は到る處神様のやうに思はれた。

陸軍某聯隊よりも救護班が来た。 之は戦時装備で剣突鐵砲と實弾携帯でやつて来たが、来て見ると弾薬よりは米麦、鐵砲よりはショーベルが必要であると言ふ事が解り、一寸皮肉で有つた。 留意を要する事である。


 六、震災後長く奥丹地方に在りて地震学の研究を進められたる今村博士 (明恒、東大地震研究所、教授) の談に依れば、今回の地震に依り従来は地震計に依り平面的にのみ地殻の變動を知り得たるに、今回の實験に依り之を立體的に測知する事を得るに到り、震源が何の地にして深さ幾何の點にあるかを知り得るのみならず、震源地の遠近も一層明かに知るを得る様に成つたとの事である。


 尚ほ博士より左の訓戒を受けた。

 一、地震の時の火災は地震其の物より来る災害を十倍にするを例とす。 何よりも注意すべきは火災を防ぐ事である。


 二、第一震に倒壊せざる家屋は餘震では倒れるもので無い。 故に餘震に恐るゝ事なく安心して火を消し、然る後ち人を救ひ、財物を取り出すも決して遅きに非ず、何よりも防火を先きにすべきである。


 以上の外、奥丹地震に就ても、まだ記すべき事多々あるが、餘りに長談議と成るので、此の位ゐにして擱筆する。
(続く)
posted by 桜と錨 at 12:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 『運用漫談』(完)
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