2011年02月01日

『運用漫談』 − (37)

著 : 大谷幸四郎 (元海軍中将、海兵23期)

  その13 (承前)

 東京大地震に就ては話は幾らもあれ共之れ位に止め、序でに奥丹地震に就て陳ベる。

 奥丹地震は昭和二年三月二日午後六時半に、與謝海沿岸の岩瀧村から日本海沿岸網野へ掛けて起つた地盤の變動である。 自分は當時越後方面旅行中で、小川温泉で宿泊中であつたが、電報には敢て歸るに及ばすと有るも、餘震断へずと有るから事態容易ならずと考へ、翌早朝の一番列車で歸途に就き舞鶴要港部に著いたが、午後七時過ぎであった。

 早速参謀長の報告を聞くに、地震は與謝海の奥より網野方面に亙り損害甚大なるも、他は大した事は無い、之に對する部署は駆逐隊を宮津湾と網野沖に派し連絡に當らしめ、駆逐艦敷設艇等を利用し地方官憲と協力して治安維持、負傷者救護、被服糧食配給等に従事せしめて居ると言ふ事で、萬事誠に能く行き届き、自分が在部して居ても是れ以上の事は出来ないと思はれた故、大に参謀長の處置を賞讃したるに、参謀長謙遜して曰く、『嘗て大地震のお談を食卓で聞いて居りましたから、それを應用した丈けである』 と。

 日頃食卓等にて行ふ雑談の効果が、斯様な時に表はれるかと思ふと、雑談も亦た軽視を許るさざるものがある。 (注1)

 奥丹の地震は其二年前に城崎地方の地震があり、更に其の前に東京大地震の先例があるので、一般人の覚悟も大地震の如く恐慌に堕せず、又た救援の方法も迅速に順調に行はれたのであるが、二三の實験を列挙して参考の資とする。

一、當時第九駆逐隊は宮津沖にて魚雷發射を行ひ、宮津湾に碇泊し上陸許可中であったが、地震と共に直ちに防火隊を上陸せしめたるに、其の上陸するや約一里を離れた岩瀧村に散歩に行きたる一兵員馳せ返へり、岩瀧の惨状宮津に幾倍すと報じたる爲め、防火隊をば直ちに岩瀧方面と其の附近に馳付けしめ、更に第二防火隊を宮津に揚げ警護に當らせる事としたが、岩瀧村民は地震後二時間ならずして海軍の救護隊来りたるを見て、海軍は地震を豫知せしに非ずやと驚き且つ感謝した。


二、宮津方面より京阪地方竝に東京方面の一切の電信線破損せし爲め、約三日間一切の通信は海軍の無線電信に依る外無かりしが、殊に網野方面の情況は道路破壊して交通不自由の爲め、何等の詳報を得る能はざりしが、震災翌日警官数十名を駆逐艦に便乗せしめ網野方面に到らしめ、救護と通信に従事せしめたるに、其の効果甚大のものあり、住民は神の如く海軍を敬ひ之に感謝せり。

 尚ほ一般の通信には、鐵道系に由る通信と、警察系に依る通信と、電信郵便に頼るものとの三つがあるが、此の三者を統一し連絡せしめ利用すると、地震の如き不時の際大に有効なる事を實験した。

(続く)

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(注1) : 余談ですが、ご存じの方はほとんどおられないと思いますので少々補足を。


 旧海軍時代からの伝統・慣習として、業務実施中の直接の指導だけではなく、食事などの気さくな雰囲気の時を利用して、艦長などの先任者が雑談的に自己の経験談や色々なノウハウを後輩達に継承することが行われてきました。

 この伝統・習慣は海上自衛隊にも引き継がれまして、停泊中の夕食後も艦長や副長以下ほとんどの幹部が士官室に残り、上陸員が出払うまでの間、ソファーでカードをやったり、またテーブルではその他の幹部がそれぞれテレビを見たり雑談をしている時に、艦長などが合間合間に色々なことを話し聞かせました。

 また、寄港地などでは艦長や副長が若い幹部を引き連れて飲みに出掛けるのが常でした。 この時も、一杯やりながらワイワイやっている中でさり気なく艦船勤務のことや人生訓的なことなど色々語り聞かせることが行われてきました。

 管理人の経験からしても、実際の実務中の指導はもちろんですが、これらの話しの中にも非常に為になり、また後々まで頭の中に残ることが多かったと思います。

 非常によい伝統・習慣だったのですが、残念なことに現在の海上自衛隊の艦船勤務ではこれらはほとんど見られなくなってしまいました。

 夕食を食べ終わったら若手の幹部達は直ぐに士官室からいなくなってしまいます。 その理由は早く自室に戻って書類作業を続けないと、その日に上陸できるかどうかも判らないからです。 それくらい書類が増えています。

 また、寄港地でも若い幹部達は僚艦の気の合う同期達数人では飲みに出ることもありますが、艦長などと飲みに出掛ける者はほとんどいなくなりました。 自分の金を出してまで何で上司に気を使いながら飲まなければならないのか、と。

 それに最近は上陸しても飲み歩く若い隊員 (幹部も海曹士も) が極端に少なくなりました。 特に寄港地では、知らないお店で飲むより、一日でも早く母港に帰り彼女とデートしたり下宿で一人ノンビリする方が余程マシ、と思っているようです。

 お役所的に非常に細かい規則類が増え、また作業マニュアルがドンドン厚くなっていく一方で、この様な文書などでは決して伝えられない本当に活きた教訓やノウハウの継承手段が消えていっています。

 そして艦船勤務の楽しさ、海の男のロマン、などは過去のこととなりつつあります。
posted by 桜と錨 at 13:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 『運用漫談』(完)
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