2011年01月22日

斉射のやり方 (5)

2.射撃の指揮組織

 それでは、前回まででご説明した射撃の手順に従い、「一斉打方」 や 「交互打方」 において斉射をやろうとすると、これらの手順を “何処で誰がどの様に” 実施するのか、という射撃指揮組織、射撃指揮系統のお話しです。

 次の図は、大正9年に昼間砲戦における射撃幹部の組織を規定したものです。 「射撃幹部」 というのは、艦長・砲術長の下でその射撃指揮に関わる者を言います。

Gun_Org_T09_01_s.jpg

 そしてその時の主砲の射撃幹部の配員表です。

Gun_Org_T09_02_s.jpg

Gun_Org_T09_03_s.jpg

 大正9年と言えば、既に大正6年の 「扶桑」 「金剛」 型に続いて順次方位盤が制式装備され、これに伴い大正2年に制定された 『艦砲射撃教範』 が前年の8年に改正されて、昭和期へと続く近代射法がほぼ確立してきた段階です。

 したがって本表にはこの方位盤の関係員が示されていますし、また測距儀も4.5メートル及び3.5メートルの大型のものが既に導入されていますので、その要員も多くなっています。

 しかしながらそれらの点を除けば、主砲だけでさえこれを管制して 「一斉打方」 や 「交互打方」 で斉射を実施するためには、これだけの組織と人員が必要になる、ということをご理解いただけると思います。

 そして、これらの組織・系統を結ぶ通報器や電話、伝声管などの通信装置の内、射撃指揮所と方位盤、測的所、発令所を結ぶものを 「射撃幹部通信」、発令所と各砲塔・砲廓砲を結ぶものを 「砲側通信」 と言います。

 「射撃幹部通信」 と 「砲側通信」 とでどの様なものが必要になるのかは、近代射法が誕生した直後の明治45年当時のものを 『距離通報器について (3)』 でご紹介しておりますので、そちらをご覧ください。


 当然ながら、副砲での射撃のためには同じ様な組織・人員・機器設備が全て “別に” 必要になりますし、分火 (主砲又は副砲を2群に分けてそれぞれが別の目標を射撃すること) を必要とするなら更に増えることになります。

 そして、上の図表をご覧いただけば、前4回の 「射撃の手順」 でご説明した、その射撃手順に従ったそれぞれの段階での機能分担が組織上も明確になっていることがお判りいただけると思います。


(1) 射撃指揮所

 「射撃指揮所」 は艦長の戦闘・砲戦指揮の下で、射撃指揮官が射撃指揮をする所です。 即ち目標の選択・指示を始めとする射撃全体の指揮の場であり、加えて先の射撃手順の (5) 及び (6) を行う場所でもあります。

 主砲を指揮する砲術長が位置するのが 「主砲射撃指揮所」、副砲を指揮するのが 「副砲射撃指揮所」 であり、また通常それぞれには通常主用・副用 としての 「前部」 と 「後部」 の2箇所があり、更には予備用があります。 特に分火の場合には、主・副の両方を同時に使用する必要があります。


(2) 測的所

 「測的所」 は先の射撃手順の (1) を実施するところで、主として測距儀と測的盤を運用します。 主砲と副砲とで同一目標を射撃する場合は一箇所でもよいですが、それぞれ別の目標を射撃したり、主砲や副砲をそれぞれ分火するためにはそれぞれ用の測的所が必要になります。


(3) 発令所

 「発令所」 (初期には 「下部発令所」 と呼んでいました) は射撃計算と発砲の管制、並びに射撃指揮官の命令指示を砲側へ伝達し、砲側の状況を射撃指揮官に報告するところです。

 先の射撃手順で言えば (2) (3) (5)、及び (7) の射撃指揮官が令した射弾修正を (3) に加えるところです。

 当然ながら主砲と副砲用、そしてそれぞれの 「前部」 と 「後部」 があります。 この発令所を所掌するのが 「発令所長」 であり、また発砲を管制するのが 「号令官」 です。 当然ながら、分火をする場合にはそれぞれの発令所が機能しなければなりません。


 皆さんお判りと思いますが、実はこの 「発令所」 の有無が近代射法実施上の重要な “カギ” の一つです。 即ち、射撃指揮系統・組織の中にこの発令所の機能がない、ということは 「一斉打方」 や 「交互打方」 での斉射はやっていない、出来ない、という事なのです。

 以上お話ししてきた組織とそれに必要な指揮・通信用機器・設備を定めたのが、先にお話しした明治45年に始めて制定された 『戦艦及一等巡洋艦砲火指揮装置制式』 です。

 そしてこれは砲術とその装備の発展と共に、大正4年 『戦闘通信装置制式』、大正12年 『砲戦指揮装置制式草案』、昭和7年 『砲戦指揮装置制式』 と順次改訂されていきます。


 それでは、日露戦争期のこの射撃幹部に相当する指揮組織・系統はどうだったのでしょうか?

 次に示しますのは、日本海海戦時 (正確には黄海海戦の戦訓により修正した時) の 「三笠」 のものです。

Gun_Org_M37_01_s.jpg        Gun_Org_M37_02_s.jpg

 さて、これでどうやったら 「一斉打方」 や 「交互打方」 による斉射が実施できるでしょうか?

 必要な人や物も、そしてその組織もまだありません。 これでは絶対に出来るわけがないことは、これまでのご説明でもう皆さん十分にお判りになると思います。


 さて次回は、37年8月の黄海海戦時に 「三笠」 砲術長であった加藤寛治自身が 「一斉打方」 「交互打方」 による斉射を “やっていない” と言っている証拠について、ご紹介したいと思います。
(この項終わり)

(注) : 上記でご紹介した大正9年の史料は本家サイト所蔵のものから、「三笠」 のものは防衛省防衛研究所が所蔵・管理する史料からです。

posted by 桜と錨 at 14:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 砲術の話し
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