2011年01月14日

回想録 『第12震洋隊物語』 − (104)

著 : 辰巳 保夫 (乙飛練19期)

 日本軍の善戦も空し、ついに 「コ」 島要塞は米軍の手に (承前)

 敵はトンネルの外方から内部の日本軍に向け小銃、機関銃はもとより、手榴弾、バズーカ砲、迫撃砲、火炎放射器とあらゆる火器を動員して攻撃をかけてきた。 トンネル内の日本軍将兵は、まさに 「袋の中のネズミ」 同様となり生き地獄さながらの状態に追い込まれてしまった。

 糧食、当時コレヒドール島における日本軍の糧食は今後2箇年間龍城しても持ち堪えるだけの量を保有していた。 ところが残念なことには水不足という難題が大きくのしかかってきた。

 敵は上陸するやいなや地上にあった全島の給水を掌る給水本管のメインバルブを閉め切ってしまったのである。 元々このコレヒドール要塞は米軍の手によって構築されたものであり、どこに何があるかは我が庭同然であったのだ。

 水、水、水、人間が生きるためにどれほど水が大切なものであるか、水 (特に飲み水) の欠乏は日増しに募り、あたかも日本軍兵士の首は真綿で締められる状態になり、致命的な打撃となってきた。

 20年1月の下旬、前所属の艦艇がマニラ湾付近で米軍の攻撃を受け損傷、その後急拠第12震洋隊に転属となった関口上曹 (苦闘の末、コレヒドール陥落の直前同島から海上経由脱出、奇跡的な生き残り、現在東京都足立区在住 (著者執筆当時) ) は、この時の水との闘いを次のように語っている。

 連日の空襲、それに加えて敵艦艇による艦砲射撃が続く。 物量にあっては米軍には到底勝てっこはない。 そのうえ地下要塞の中に “もぐら” 同様封じ込まれ窮地に陥っていたが、日本軍兵士の土気はなおも旺盛であった。

 だが如何にせん水道本管の元栓を閉められ一滴の飲み水を得ることができなくなった。 苦戦を強いられ、なおかつ苦汁を舐めさせられる運命となった。 我々は、そこここにわずかながら湧き水の出るところを知っていた。 だが米軍もまたこれを知っていたのである。

 地上では激戦が展開され苦戦の連続、日増しに兵力・火力を消耗し、あまつさえ体力も消耗し疲労が甚だしい通気が悪く異常なまでに蒸すトンネル要塞の中、こうした状態に追い込まれながら敵と戦うためには水を求めるための闘いを併行しなければならなかった。

 このため日本軍は夜の闇を利用し、各隊から水汲決死隊を派出した。 ところが敵は先刻からこちら側がそうするであろうことを予知し、湧き水の出る所を狙撃兵で囲み待ち構えていたのである。

 極めて成功率の低い水汲決死行をどうしても敢行しなければならなかった日本軍側の計画はまさに悲痛の極度であった。 何から何まで全てが悲惨な戦いであった。

 これ以上の犠牲者を出したくないのは誰もが願うところであり、あえて敢行し一滴の水を求めて ・・・・。 一滴の水は生きて戦うために必要欠くべからざるものであった。

 同決死隊員は1度に数個の水筒を背負う。 水筒はある意味では防弾となり隊員の身を守ってくれた。 湧き水の出る場所に匍匐前進し水を汲んだ。 敵狙撃兵はそうはさせじと四方から日本兵士を阻止する。 半ば無謀に近いこの決死行は、例え成功したとしても僅かに水筒一個分の水を得るのがやっとという状況であった。

 恐らく敵狙撃兵達は愚行に近い日本兵の行動を笑いながら (ガムを噛みながら) 待ち伏せをし、我が水汲決死隊員を狙い撃ちにしていたことであろう。

 かくして水による絶命的なまでのピンチに立たせられた日本軍の抗戦力は、次第次第に低下せざるを得なかったのである。
(続く)
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