2011年01月13日

回想録 『第12震洋隊物語』 − (103)

著 : 辰巳 保夫 (乙飛練19期)

 日本軍の善戦も空し、ついに 「コ」 島要塞は米軍の手に

 この震洋艇の攻撃のあったことを、米国の戦記 (第2次大戦における米海軍作戦史 第13巻 サミエル・エリオット・モリソン) に次のごとく記されている。

 At about 0315 on Februaru 16, a number of Japanese 17-foot suicide boats succeeded in making an undetected approach and sank three of these support craft. LCS(L)-27 sunk five of the midgets; then a sixth blew up close aboard and put her put of action. About 30 of these boats had been sent to Mariveles from Corregidor during the night of 15-16 February. One was spotted and blown up by Conyngham about a mile and a half southwest of Mariveles at 0700 on the 16th.
( Samuel Eliot Morison 『 History of United States Naval Operations in World War II Vol.XIII : The Liberation of the Philippines ; Luzon, Mindanao, the Visayas 1944-1945 』 p202より )

 コレヒドール島では震洋特別攻撃隊の大成攻があって喜んだのも束の間の出来事となった。 それというのも、米軍はマニラ市の完全占領を目前にし、2月15日新たにマリベレス付近に新兵力を上陸させてバタアン半島に足場を作り、0830〜1000の間ミンドロ島基地を発進したパラシュート部隊 (米第503空挺連隊) がコレヒドール島西方高地 (トップサイド) に降下、この降下部隊と相呼応するがごとくマリベレスから歩兵上陸部隊をもってマリンタ南岸に上陸、コレヒドール島攻略の火の手を上げた。

 10時過ぎ 「敵パラシュート部隊が降下している」 と 「南桟橋に敵大部隊が接近しつつあり」 という我が地上監視哨からの報告が続々と飛び込んできた。

 一方特別攻撃隊を送り出した後、まだ疲れも取れず後片付けも終わらないままの残された第12震洋隊基地隊員は全てコレヒドール島防衛部隊の直接指揮下に入った。 そして各トンネルに分散配属された。

 しかしこれら隊員は敵と戦うため必要とする小銃すら持たない状態であった。 皆の配属されたトンネルは今まで住み慣れた所と違い勝手も分からず、そのうえ外部の様子は尚更分からなかった。 いよいよ敵兵と膚と膚を合わせる対決は時間の問題となった。 白兵戦の展開もすぐ目前に来た。

 遂に敵が ・・・・、緊迫する。 10時40分、敵兵が上陸用舟艇数十隻に分乗し、ものすごい速さで白波を押し分けながら南桟橋に突進してくるのが見えた。

 かくして1240、敵味方の砲銃弾が轟音を立てながら往き交う混乱の中、島中央部の台地に米パラシュート部隊の第2陣が降下した。

 これら米部隊は直ちに合流し、マリンタ高地 (桜トンネルの上部) を制圧した。 このため我が守備隊は残念ながらも大きく2分されてしまった。

 コレヒドール島に敵上陸の報を受けた大河内第3南遺艦隊司令長官は、板垣大佐に宛てて

 『 「コレヒドール」 派遣隊ハ全力ヲ挙ゲ積極果敢、攻撃ヲ反覆驕敵ヲ撃滅スベシ 』

 と打電してきた。

 17日未明、トンネル内の我が軍指揮所において誤爆事件 (鹵獲ロケット弾の発射試験を行ったところ爆発) が起こり、そのため敵と戦わずしてまた数多くの死者を出すに至った。 そのうえ我がコ島防衛軍指揮官の板垣大佐もこの事故で重傷を負った。

 指揮は小山田少佐が代わって執ることになったが、その夜、板垣大佐は敵の手榴弾をまともに受け戦死を遂げた。
(続く)
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