2011年01月09日

『運用漫談』 − (20)

著 : 大谷幸四郎 (元海軍中将、海兵23期)

  その8 (承前)

 或る人は善く部下を知り之れと恩愛の情を結び、『此艦長の爲めならば水火も辞せずと言ふ様に撫育して、部下を統御するを要す』 とて世俗の親分子分の様な関係を作つて得々たる人があるが、自分は軍隊内に於て親分子分の如き私的関係を作る事は一種の反逆行爲であると考へている。

 畏れ多き申分であるが、吾人の親分は 上御一人の外何人でも無い筈である。 親分子分の関係すら既に然りである。 藩閥、閨閥、財閥殊に級閥等の如き閥族的醜関係が軍紀風紀を撹乱するの大害に至ては、眞に以ての外なるものがある。 慎みても慎むべきは人事上の公平無私なる事である。

 尚ほ亦た有爲の士にして、甲の艦長の下なれば宜しきも、乙の如き艦長の下に於ては駄目なりと言ふ様な人物がある。 是等は如何に特種の技能を有するとも、軍人としては落第であることを忘れてはならぬ。

 以上は主として部下統御上心得べき事に就て述べたが、次には自分の頭脳其物の経済的運用に就て少しく陳べよう。

 一體仕事を爲すには、何事に係らず先づ足場を片附けて身體手足の運動を無碍自由ならしむる事が必要である。 頭脳の仕事も亦之と同様であつて、艦船の操縦其の他萬般の作業に取掛る時には、常に日常の雑務や人世の俗務の如きは片端から片附けて仕舞ひ、事に當ては何等の後悔や杞憂や関心を要するなからしめ、頭脳を全くクリヤーにして居る事が必要である。

 更に深く之を論ずれば、吾人は常に禅学的究竟心理に達し居るべきであるが、そんな理窟を言ふと又々脱線するから漫談の本位に返へる。

 頭を楽にするには仕事を成るべく簡易にする等が必要である。 例へば艦船の出港法に就ても如何に操縦すべきかに就ては千變萬化の遣方が有らうが、自分は常に之を一定して居つた。

 夫れは時の状況と港湾の形勢を見て、回頭方向を定めた。 以上は殆んど総ての場合に内方の推進器を後進半速となし起き、外方の推進機と舵柄のみを操縦して其位置に於て回頭すると定めてゐたのである。

 斯くすると、頭の使方は極めて簡単で艦の行足如何を見て外側推進器のみを操つて居ればよいので、何れかと言へば、舵柄も餘り動かす要を見なかった。

 此方法は一見迂遠な様なれども決して然らず、長い間の艦隊勤務中、決して他艦に後れを取らなかつたのである。 其内でも軍艦 「鹿島」 の推進機は内廻りであるから、大變むづかしいとの評判であつたが、矢張右の方法一天張でやつたが、少しも困難を感じなかつた。

 尤も駆逐艦等で強風に逆つて回頭するを要する時は、右の内側機を後進原速若くは全速にして急速に回頭するを要する場合もある。 又横附けをする時でも愈々横附に臨むときは、被横附艦に少し許りの角度を以て進み、外側舷の推進機のみを一寸後進を掛ければよい様にもつて行く事に一定して居つたが、頭が楽で時間も短く、仕事は大變楽且つ安全であつた。

 右の様に日常の事は大抵の事は夫れぞれ自己の判断で一定の規準を作つて置くと、部下も其気心を知り、萬事順調に行くのみならず、咄嗟の出来事があつても、臨機應變に頭を働かす事が出来るのである。 所謂運用の妙は一心に在りとは此の邊の妙諦を謡つたものであると思ふ。

 軍艦 「音羽」 であつたと思ふ。 営口に入港する時水先人を傭つた處が、水先人は 「音羽」 が両舷機であるを見て、片舷機で入港さしてくれと言ふから、何故かと訊くと、自分は常に単軸の商船のみを使つて居るので、両舷機を使ふと頭が混雑していけないからとの事であつたから、言ふが儘に運轉さした處が、見事に入港繋留したと言ふ。 味ふべき事である。
(続く)
posted by 桜と錨 at 15:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 『運用漫談』(完)
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