2011年01月09日

回想録 『第12震洋隊物語』 − (100)

著 : 辰巳 保夫 (乙飛練19期)

 震洋特別攻撃隊の出撃

 2月15日午前8時45分、「敵上陸用舟艇、大型8隻、小型約40隻、北水道二進入シツツアリ」 と、また続いて午前10時8分 「敵ハ、マリベレス西方付近ニ上陸シツツアルモノノゴトシ」 と、マニラ湾口部隊からの電報を受け取った。

 この時、米艦艇は約1時間にわたって、バタアン半島の先端部マリベレス地区に対し猛烈な艦砲射撃を加えた後、午後3時マリベレス上陸戦を展開した。

 同日午後9時頃、搭乗員達の元へ長く長く待ち望んでいた時が遂にやってきた。

 「震洋隊松枝部隊は、スビック湾内にいる敵船団部隊を撃滅すべし。」

 と特攻部隊指揮官小山田少佐から命令が下った。 この当時の模様を第12震洋隊の先任下士 (基地隊員、横須賀から搭乗員と同行しただ1人の生残者) である樫村上衛曹はこう手紙に記されている。

 そうです、当時のこの事は私にとっては一生忘れることのできないことです。 出撃命令を受け、喜び勇んだ搭乗員の顔、それをどのように表現すればよいでしょう。 水を得た魚、そんな単純な表現では決してなかった。 長い長い苦痛からやっと解放されたというか、この時点での彼らの気持を誰が完全に、そしてうまく理解し得たことでしょう。

 早速搭乗員達は下着類を真新しいものに取り替え、全員白装束となった。 全員服装が整った後、搭乗員総員集合、部隊長を中心にし、これが最初であり、しかも最後となる作戦計画を車座になり練った。 実に熱の入った会合であった。

 それが終わると皆は別離の酒杯を交わした。 それから搭乗員たちは 「出撃時刻」 までの問わずかな時間ではあったが、仮眠をとることになった。

 搭乗員以外の我々は全員で壕内やそのほかあちこちと格納されてあった震洋艇を水際まで運び出し、出撃準備のためエンジンなどの調整を行った。 先任下士である私は、特に若い搭乗員達が出撃のために必要とするものをあれこれと細かく気を配ばり準備してやったのである。

 私はある用事のため搭乗員達の仮眠しているそばを通った。 ところが高鼾が聞えてきたのには驚いた。 皆の寝姿たるや何と大胆不敵、大の字を画いていた。 どこの国の軍人が、後残すこと3〜4時間の我が命を知りつつも、このようにして死の間際に高鼾をかきながら眠ることのできることを ・・・・。

 私は搭乗員達のこの胆力のあるさまを見て、この度の出撃は必ずや成功するものと信じてやまなかった。

 いよいよ出撃の時刻がきた。 全部の震洋艇の整備と点検が終わった。 爆装の点検も終わり、燃料タンクは満タンにした。 そして各艇へ予備の燃料として石油缶が2缶あて増配された。

 あちこちの格納壕から運び出された震洋艇が水際にズラリと並んだ。 空には低く薄い雲がかかり流れていく、六日の月がその雲を切るかのように浮かぶ。 海はねっとりと暗黒の中で冷たさはなくむしろ温かさを感じさせた。 静かな海、静かな人の群、今まで高麗鼠のように働いていた人の群が一時止まった。 気象条件も最適、出撃にはもってこいの状況であった。

 搭乗員達は仮眠から、がばと跳ね起き飛行服を着け始めた。 彼らには、特に海軍上層部の取り計らいにより、最後を飾るに相応しく、また彼らを最後まで飛行兵として、また勇者としてのプライドを持たせんがため、航空機搭乗員と同じ服装をもって出撃することを許したのである。

 救命ジャケットの紐がきつく締められる。 彼らにピストルが渡され、弾40発と3発の手榴弾が与えられた。 中には日本刀を背中にたばさんだ者もいた。 少年達はまさに武者人形のごとし ・・・・。

(続く)
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