2011年01月08日

回想録 『第12震洋隊物語』 − (99)

著 : 辰巳 保夫 (乙飛練19期)

 空襲は激化し、戦機刻々と迫まる (承前)

 ついにモグラ同様となった我が軍は、昼間なおも高射砲や機銃をもって執拗な敵機と応戦し続けた。 しかしその甲斐もなく次から次へと砲や機銃は破壊され、兵員もバタバタとなぎ倒され、日増しにその被害も大きくなるばかり。 我が軍が敵に反撃するための唯一の頼みはただ震洋艇のみとなった。

 既に敵の爆撃などにより他隊の震洋艇は敵と戦わずしてその大半を失ったが、第12震洋隊だけは幸いにも〇四兵器の損耗はなく健在であった。 こうして第12震洋隊に課せられた使命こそまことに重大なものとなった。

 このような戦況の中で、第12震洋隊の搭乗員達は呑気千万といえよう、地上の出来事には一切動じることなく沈着冷静であった。

 時折搭乗員の先任者は部隊長のもとに行き情報を集めるなどして出撃時機の到来を待ち望み、小山田特攻指揮官に我々の出撃時機を要求するなど士気はまさに横溢せんばかりであった。

 部隊長はこのような搭乗員達を前にし

 「ありがとう、諸君のこのような士気盛んなる姿に感謝する。 いま暫くの辛抱だ、堪えてくれ。 きっと近日中に大戦果を挙げ得る日が来るから ・・・・ 」

 と、なだめ諭し微笑を返えす頼もしい場面も幾度かあった。

 1月30日午後1時、戦艦2隻、巡洋艦3隻、駆逐艦8隻、掃海艇15隻など約30隻からなる敵艦艇がスビック湾に進入し、約1,500名の米兵が同湾湾口にあるグランデ島に上陸した。

 同日コレヒドール地区指揮官の板垣大佐はコレヒドール島における日本側残存戦力についての報告をした。

 それによると14サンチ砲9門、同弾薬1門につき70発、12サンチ高角砲5、同弾薬100、8サンチ砲7、同弾薬220、25ミリ3連装機銃4、同弾薬3,200、25ミリ単装機銃20、同弾薬1,400、13ミリ機銃20、同弾薬1,800、7.7ミリ機銃14、同弾薬2,600、震洋艇100、魚雷艇2、糧食の損害軽微なお島内各部との連絡は夜間徒歩伝令による、と付け加えられた。

 2月2日、敵魚雷艇2隻がガラバオ島に近接、同島の我が軍はこれと交戦した。

 2月6日、敵機19機がコレヒドール島に来襲し銃爆撃を加える。 米軍はかつて自分達の手で築いた要塞であるため島内のどこに何があるかなど実に島内事情については詳しく知っていた。 そんなこともあってか爆撃の精度も実に正確そのものであった。

 またこの日敵機の爆撃に呼応するがごとく魚雷艇数隻がマニラ湾口付近に姿を現し終日行動するようになった。

 2月9日、早朝から終日延べ190機の敵機が飛来、銃爆撃を見舞い、島内弾庫に誘発を招き大中口径砲の砲弾約5,300発、燃料約80トンを焼失した。

 2月10日、敵の戦艦を含む巡洋艦群と駆逐艦、潜水艦を併せた強力な米艦隊がマニラ湾口に現れ、コレヒドール島を洋上から艦砲射撃にて攻撃を始めた。

 この時我が軍の陸上砲は敵艦艇と交戦、この砲撃戦は14日まで連日のごとく続けられた。 この間における我が方の戦果、敵掃海艇1隻撃沈、しかし我が方の損害は震洋艇19隻を大破され使用不可能となった。

 2月13日、敵駆逐艦に護衛された掃海艇2隻がいよいよマニラ湾に進入、米軍側が投下敷設した機雷の掃討を大胆にも開始した。 これを発見した我が砲台部隊は直ちにこの敵に砲火を浴せ敵艦に甚大な損害を与えた。

 ところが敵もさるもの、マリベレス方面から新手の艦艇を繰り出し、ここにコレヒドール要塞砲と敵艦艇との間に壮絶な砲撃戦が展開され、敵は更に航空機の応援を得て抵抗する要塞砲及び日本守備隊に徹底的な攻撃を加え、物量による力で圧倒しねじ伏せようとするのであった。
(続く)
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス: [必須入力]

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。
この記事へのトラックバックURL
http://blog.sakura.ne.jp/tb/42449414
※言及リンクのないトラックバックは受信されません。

この記事へのトラックバック