2011年01月06日

『運用漫談』 − (19)

著 : 大谷幸四郎 (元海軍中将、海兵23期)

  その8 (承前)

 逸人が 「春日」 艦長を拝命したるは逸人に取りては始めての艦長生活である。 窮屈なる水雷艇駆逐艦に慣れたる眼には、一切が贅澤で勿體ない様な気がした。 其の一つは従兵である。

 従兵長は掌砲章を持つ三等兵曹で、其の下に掌砲兵一掌水雷兵一の水兵二名と従僕一人、其の他浴室當番として機関兵一名が毎日交代で来る様に成つて居た様に覚えてゐる。 どう考へても勿惜ない。

 それで副長を呼んで、従卒は総て特技章を持たざる徴兵で澤山である。 艦長一身の身の廻りを世話するのに、軍人の手を煩はすと言ふ事は只さへ不本意である。 殊に折角海軍で身を立て且つ御上の御用に立つ爲めに特種教育を受けたるものを 「気がきくから」 と言ふ位ひで、従兵の様な軍務外の用に使ふことは以ての外である。 尚ほ水兵二名を一名とし、其代りに機関兵一名を加へ浴室當番は廃したらばよからうと話し、其通りにした。

 此の機関兵一名を加へた事は、従兵の中に機関兵が一人居ると、電燈や浴室器具の故障、共他機関部へ使に遣る時等に萬事好都合であつたからである。

 右の如くして間もなく機関長来り、艦長が従兵に機関兵を取られたる爲め機関部は大悦びで大變部下が使ひよく成つたと言ふから驚いたのである。

 夫れで自分は只さへ少ない中から、新に役員を取つて気の毒に思ふて居るのに、却て大悦びだと言ふのは何故かと聞きたるに、役員の内にて艦長室従兵は最上の名誉とされて居る。 然るに今迄は内規で機関兵は士官室以上には使はない様に成つて居つたのに、夫れを艦長が打破されたから大悦びで、最も優良なる兵を選抜して出したとの事であつた。

 上来の事は洵に何でも無い事であるが、此の一事の爲めに艦内の調和が無言の中に旨く行き、一年有餘の間、南洋、印度洋方面等に於て無味単調なる警備勤務等に服したるも、少しも士気倦怠の事なく済ます事が出来た。

 其の後 「敷島」 に行き 「鹿島」 に行き、右と同様の経験を得たが、次で 「扶桑」 に行きたる時は、一般に機関兵が艦長室に使はれる様に成つて居つた。

 従兵一人の事が夫れ程の影響の在る筈はないと言ふかも知らぬけれども、人心の動きは極めて機微なるものがあるから、注意の上にも注意を要する。 著任初めの一寸とした事で、此の艦長は物の解つた艦長だと言ふ事が知れると、夫れから萬事はとんとん拍子でうまく行くものである。


 逸人が某水雷艇の艇長と成った時に、朝鮮の元山で赴任し、直に出港して鎮海湾松眞に回航した。 眞夏の暑い日であった。

 松眞に入港投錨し、防備隊司令官に敬意を表する爲めに上陸して行きつゝある時、背後より機関兵曹長が走り来り、『艇長今日は機関部が大悦びである、御禮を申上げます』 と言ふから、何故かと聞きたるに、『先の艇長は誠に用心深い御方で、入港等に中々時間が掛る、浮標を取る時等は殊に然りで冬季ならばよいが、暑中炎天の時に微速力停止等にて三十分餘もぐず附かれると、機関部は炒れ附く様である。 本日は入港用意の號令が掛つて五分間も経たざる内に 「機械よろし」 の號令が在つた。 機関部は大助かりである』 と。

 自分も一寸驚いたが、夫れから後は艇内の空気が非常によく成り、對州海峡 (対馬海峡) に於ける長い間の警備哨戒勤務中でも懲罰兵は一人も出さすに済んだ。

 又出入港の時に必要も無いのに、寒い前甲板に長く水兵を立たせたり、熱い炎天の時に機関兵の苦労も知らずに 「機械よろし」 を忘れたりすると、如何な名士でも直に全艦の兵員に馬鹿にされて、一切が旨く行かない様に成る。 注意すべき事である。

 右の様な事を溯つて辿つて行けば際限が無い事で、然かも極めて細微なる事で、つまらぬ様に見えるけれども、軍隊統御の要諦は斯様な機微なる點に在るものである。

 而して之等は殊更に考へて計畫的にやつても一時は成功するかも知れないが、長時日の間には化の皮が表はれて、却つて有害となることがあるから、一切は奉公の至誠と部下を愛する熱情の發露にして、自然に發したるものでなければならぬ。 自分は此の點を考慮して 『運用の妙は一誠に在り』 と唱へ来て居る。
(続く)

posted by 桜と錨 at 17:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 『運用漫談』(完)
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