2011年01月05日

回想録 『第12震洋隊物語』 − (96)

著 : 辰巳 保夫 (乙飛練19期)

 空襲は激化し、戦機刻々と迫まる

 敵のミンドロ島基地利用が日本軍の比島作戦、ひいては台湾 − 南支 − 佛印方面戦略物資の本土への還送などに大きな影響を及ぼしたことは言うまでもない。

 12月30日、大本営は 「早くて明春」 「まず南部ルソンに敵が来攻する」 と敵情判断し上奏されたが、一方現地の比島方面軍では (同月26日現在) 「1月上旬敵来攻」 「最初から敵主力はリンガエンにくる。 又はバタンガス方面 (ルソン島南西部、ミンドロ島との最近接地) から来攻」 という敵情判断をもっており、前者か後者かの予想は五分五分の線であった。

 年が明けるや敵艦船はほとんどがレイテ湾に集結、1月2日次期上陸作戦を目差し逐次レイテ湾を出撃、行動を起こした。 同日0800、我が海軍機はダバオ東北東370マイルに約100隻の大船団部隊が北西進中であることを、またレイテ湾内に約100隻の船団が集結しているのを発見し我が方に報告された。

 3日朝スリガオ海峡に空母4、巡洋艦5を基幹とする2群が認められ、同日朝から台湾では敵機動部隊による空襲が始まっていた。

 またその日、ミンダナオ海では敵特設空母12、戦艦4、巡洋艦8、駆逐艦など49隻からなる驚くべき大艦隊が西進中であるという報告が入った。 その報告を受けるや、この敵艦隊に対し我が方は航空機による特攻攻撃を敢行、敵にかなりの損害を与えた。

 1月5日午後、既に報告のあった同一目標であろう敵艦船の大部隊がマニラ西方の洋上 (南シナ海) を北上した。 この敵に対しマニラ市近郊の航空基地クラークとニコラスから我が特攻機が出撃、全力をもって攻撃したのである。

 また一方我が海上部隊も駆逐艦をもってこの敵に奇襲攻撃作戦をかけるべく近接したが、その途中において不幸にも敵哨戒機に発見され、敵の海空及び潜水艦による執拗な反撃を受け、この作戦は不成功となり敗亡してしまった。 またこの時甲標的 (特殊潜航艇) による攻撃も決行されたが命中もなく終わった。

( この日の前夜、私達を乗せた病院船 「第2氷川丸」 は、この大部隊の直前かそれとも真ん中かははっきりしないが、とにかく常識では考えられないところをトコトコと潜り抜けてきたのであった。)

 同じ頃コレヒドール島にいた第12震洋隊を含む日本軍将兵の耳にも、「空母5隻からなる敵機動部隊北上中」、「敵5個師団、リンガエンの我が軍の猛反撃を受け退却中」 などと、次から次に情報が舞い込んでいた。

 第12震洋隊の若き特攻隊員は我々にも早く出撃命令が出ないものかと胸をときめかしながら待っていた。 ところがこの時、皮肉にもコレヒドール島から見た西方の洋上を北上して行く敵艦船大部隊があった。

 しかし自分たちの目で多くの敵艦船 (格好もよし) を眺めつつも、それが余りにも洋上遠距離にあり、大砲も震洋艇も及ばず、ただあれよあれよと指差すだけ、皆は地団太踏むなどして悔しがるのみ、みすみす獲物を見逃がす結果となってしまった。

 1月5、6日の両日、我が軍の航空機はこの敵にリンガエン方面で攻撃を加え相当の打撃を与えた。 だがルソン方面にある我が航空兵力は著しく飛行機を消耗し、そのうえ敵側の我が基地に対する空襲も激しく基地の機能をすっかり叩かれてしまった。 そして6日敵艦艇はリンガエン湾方面に艦砲射撃を開始し、8日まで続けた。

 1月7日、コレヒドール島内においてはまたもや格納中の機雷が誘発する事故が起こり、敵と戦わずして熱烈な闘志に燃える多くの兵士と貴重な兵器類を損耗した。

 1月8日、フィリピン方面における我が航空部隊の再編が行われたが、航空機の保有絶対数が不足し、局地偵察を行うだけの兵力をルソン島に残し、司令部はこの重大時機に台湾及び昭南方面へ移動してしまった。

 このことは最高司令部のある者だけは知っていたが、ほとんどの日本軍兵士はこのような事実のあったことを知らないでいた。
(続く)
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