2011年01月04日

回想録 『第12震洋隊物語』 − (95)

著 : 辰巳 保夫 (乙飛練19期)

 独り病院に送られて (承前)

 その日の午後になって患者の病院船への移動が始まった。 元日を中にしてこの一週間は敵側の空襲もなく、無気味に近い静かな毎日が続いた。 そんな静かな外況とは裏腹に、当病室内はざわめきに近い騒音が流れていた。

 次ぎ次ぎと患者は運び出されて行くが、どうしてか作業に当たっている人々に活気がなかった。 レイテ、ミンドロ島へと敵大部隊の攻略は進み、今ではもうすぐそこに敵がいる状勢を隠すことはできない。

 次はここマニラに敵が攻撃を ・・・・。 今日この頃の静けさは、あたかも 「嵐の前の静けさ」 に似た感がしないでもなかった。 まさにその前兆かもしれない。 誰から教わるともなく私ですらそんな予感がしていた。

 話によると、この病院に配属されている者も、半分は病院船に移り、半分はここに残留するとか ・・・・。

 私は午後の3時を大分過ぎてやっとベッドから担架に移され野外に運び出された。 雲一つない真っ青な空が私の上に覆いかぶさる。 緑の中に白亜の病院の建物が浮かび上がって見えた。

 直射日光の当たる芝生の上に降ろされた担架、胸と大腿部を皮バンドで締め付けられ、私は太陽がまぶしく薄日で景色を見るより仕方がなかった。 このマニラに来て初めて見る野外の景色は、ただ真っ青な空だけであるかのような錯覚にとらわれないでもなかった。

 相当時間芝生の上で待たされ、やっとと思えるころ患者輸送車に乗せられた。 走る車中から斜陽に映える市街の景色が小躍りしなから後へ後へと去って行く。 心なしか敵に追われ敗走するかのような感があった。

 急に頭が下がり患者輸送車は坂を滑り降りるようにして全然人気のない軍港らしいところに着いた。 岸壁には2本マストで白塗りの病院船 「第2氷川丸」 が横付けしており、着くとすぐ私はこの大きな病院船の船腹に吸い込まれるようにして収容された。

 患者を積み終えたが、この病院船はすぐ出港はしなかった。 この船こそ日本の船としてマニラを出帆する最後のものとなったのである。 夜の闇を利用し、政府の要人とその家族であろうか、急拠内地へ引き揚げるための一般人が乗り込んできた。 そんなこともあってマニラ港を出港したのは午後9時であっただろう。

 そして夜半、私にとって最も関係深いコレヒドール、そのコレヒドール島北水道を通過した。 フィリピン群島から刻一刻と遠ざかっていった。 我独り痛める心の中、肉を裂かれる思い、ああ如何ともなし難し。

 マニラ湾を出た 「第2氷川丸」 は、「近海に敵大艦隊あり」 の報に接し緊急厳戒態勢に入った。 夜が明けるや否や、上空に敵機が飛来した。 敵機はあたかも味方病院船と感違いしているのか、護衛をするかのようにピタリとくっつき行動した。

 こんなことがあってか 「第2氷川丸」 は北の日本に向かう針路は採れず、南に針路を採らざるを得なかった。 南へ南へと航海は続けられ、1月10日無事シンガポール港に入港した。

 同船は日本への回航を控え、この港においてしばらく米軍側のフィリピン北部における新上陸作戦の状況を静観する他なかったのである。 病院船であるからといって、この航海は絶対に安全であるという保証は何もない。 ますます日米の戦闘は激烈化するばかりであった。
(続く)
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス: [必須入力]

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。
この記事へのトラックバックURL
http://blog.sakura.ne.jp/tb/42375841
※言及リンクのないトラックバックは受信されません。

この記事へのトラックバック