2011年01月03日

回想録 『第12震洋隊物語』 − (94)

著 : 辰巳 保夫 (乙飛練19期)

 独り病院に送られて (承前)

 夜が明け、昨日もらった封書を読むことにした。 紙の香りが鼻を突く、部隊長と安田艇隊長からのものであった。 安田艇隊長のは、鉛筆の走り書きでこう記されてあった。

 辰巳2飛曹

 目出度い新年を病床に迎え、寒心に堪えざる事と思っております。

 昨日、北川上衛 (上等衛生兵) より益々元気にてその後順調に快方に向いおるとの由承り安心致しておる次第です。 良きにつけても一層療養に努めて全快の一日も早からん事を祈ります。

 お陰様で自分を始め班員一同も大元気で新年を迎ふる事が出来たが片腕と頼んでいた君が入院中で実に寒心残念だった。 君の分は皆で頑張らねばならぬ事と、年頭の挨拶に班員に達した。

 目下のところあと2日で頭部 (震洋艇の装薬) の装着も終り、試運転も半分は済み、結果極めて良好です。 之からは愈々大馬力で基地設営に掛る心算です。 元日の2日は休みなしで、晩も遅くまで準備で頑張って君達の仇をとると皆で張り切っている有様です。

 本日マニラ行の便がありますので衣嚢を依頼せるに付御査収被下度。 部隊にて貸与せし品は班員にて保管しあり。 着色事業服負傷時着用せるものは処分せるに付一着入れある分使用被度。 財布は見当らざる様なるも持参しある為と推思致しおります。

 恐らくこの手紙は三浦を待たせて書いたものであろう。


 今朝になって急に病院内の空気が慌ただしくなってきた。 看護婦が小走りしながら

 「今日病院船が入港し、皆を収容するようになりました。」

 と告げていった。 そして患者のそれぞれの胸の上にポイと5枚ずつの荷札を置いていったのである。 自分の荷物に荷札を付けておけということだ。

 何から何まで人手に頼らなければ何一つできない今の私、看護婦や看護兵の絶対数が足りないこともあって、重傷患者だからといって決して甘やかすようなことはなく、現実は余りにも厳しかった。

 我々もまたこのような現実に対して、どうかして少しでも遅れまい、手を焼かせまいと努力せざるを得なかった。 荷札に自分の名を書いてもらわなければ。 幸にも朝夕2回病室内を掃除して回る現地人の掃除人に書いてもらうことができた。

 人間というものはえてして苦しい環境にあると自分勝手な甘い考えを抱くものだ。 荷札の配られた後に三浦が来てくれたのであればよかったのにと、ふとそんな考えを抱く。

 ところがその途端、それに逆らうような自省の心がわいた。 三浦といわずコレヒドール島に進出した同僚達は、任務を遂行するまで、今最も精神的な努力を必要とするときである。

 彼らは一日一日が厳しい精神力との闘であり、雄々しく生き抜いていた。 彼らの成功を祈るならば何人といえども彼等の心の中に一点たりとも心の乱れるような要因は与えてはならないのである。

 重傷により痛めつけられた私の頭は、余り複雑な思考ができないにしても、愛する戦友たちのため、この程度の気を通うことぐらいはできた。

 ところで、自分は一体何のためにこの比島前戦まできたのだ! 何のためにだ! ああ無情なり、自分独りだけがどうして、一人だけ志を遂げ得ないのだ。 名誉ある任務から外されてしまうなんて無念この上なし。

 「俺をコレヒドールに帰してくれ、皆のいる所へ ・・・・ 」

 悔しさばかりがただ残る。 だがこんなところで、この状態で、幾らわめき叫んでも、それが受け入れられるものでもない。 軍人として最高の名誉あるこの任務への参加は、はかない夢に終わってしまった。

 あれほど堅固だった自分の意志も、グラマンが投下した一発の爆弾によって砕かれ、あまつさえ運命までが大きく一変されてしまった。 私と第12震洋隊との結び付きは、見舞いにきてくれた三浦と別れたその瞬間をもって、永遠に切れてしまったのである。

 それから戦後30年以上経った今日、今なお当時のままの三浦の姿が私の目の前から消えないでいる。
(続く)
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