2010年12月30日

回想録 『第12震洋隊物語』 − (91)

著 : 辰巳 保夫 (乙飛練19期)

 独り病院に送られて (承前)

 その日は喉が無性に渇き、水が飲みたくて飲みたくてたまらなかった。

 “重傷者に水を飲ませてはいけない” と、それとはなしに聞いたことはある。 私はどうして水を飲んでいけないのかはっきりした理由は分からなかった。

 そこで重傷を負っている自分が、今ここで水を要求したとしても果たして水をくれるものか、また仮に要求が通ったにしても、水を持ってきてくれるには相当の時間がかかることを知っていた。

 そこでふと気が付く。 氷枕。 水は飲めない (生命は惜しかった) が氷ならばと思う。 そこで寝たまま手を枕元に回し、氷枕のものをいただくことにしたのである。

 元気な者がするように中々上手に事が運ばない。 頭の下から引きづり出した氷枕を自分の胸の横に持ってきた。 氷枕内の氷が大分解けていたらしく、どぼんどぼんして取扱いにくく、胸の上に乗せたが、それがとても冷たく感じて長く胸の上に置いておくことはできなかった。

 いずれにしてもこんなことは手早くやってのけなくてはと、気は焦るばかりであった。 両手をぐっと伸ばし氷枕の口の部分が上になるようにして差し上げ、四苦八苦して口金を外したのであった。

 口金は外したものの容易に水を飲むことはできない。 それというのは、上向きに寝て頭部を少しも動かすことのできない状態と、氷枕の口が自分のロよりはるかに大きく、自分の口まで氷枕の口を傾けると、中の水がドッと一度にきそうで、どうしても水を飲むことはできなかった。

 氷枕を差し上げていた腕の力も全く衰え、早くやろうと気ばかりが焦り始めた。 へまなことをして氷枕を下の床へでも落とそうものなら大変なことになるぞ ・・・・ と、あれこれ考えた挙句の果て、やっと氷枕の中から氷のかけら1個を取り出し、片手で氷枕を支え、もう一方の手で氷を握り顔に押し付けてこすった。

 突然下の方でカチャンと音がした。 口金を床に落としてしまったのである。 思わぬミスを、えらいことをしてしまった。 重傷患者は水を飲んではいけないことが重くのし掛かってくるような思いになり、自分ながら悪いことをしたと観念せざるを得なかった。

 「看護婦さーん」 と我ながら最高に哀れな声を出して救いを求めた。 そのときは遅悪く 「巡検5分前」 という時間であった。 だが不幸中の幸というか、病室の入口に看護婦さんはいたらしく、すぐに来てくれた。

 「あなた、水を飲んだのね。」

 私が何も言わないのに看護婦は床の上に落ちた氷枕の口金を拾って私の目の前に差し出して言った。 彼女のそれほど大きくはなかった声は、シーンと静まりかえった病室内に ・・・・、女の黄色い声は誰の耳にも聞こえたことであろう。

 彼女の声が部屋の隅に当たってこだまとし私の耳に返ってくる。 その代わりに、1人、2人、3人と荒々しい男の声が返ってきた。

 「そんなことをする奴は死んじまえ。」

 と、それらの声は私の胸に強く突き刺さるように聞こえた。

 その夜遅くなって、前線で重傷を負ったらしい1人の兵士が、この病室内に運び込まれてきた。 その兵士は相当の重傷を負っているらしく、夜通し 「水をくれ、水、水を ・・・・」 と叫び続けていたが、夜明け頃にはウーン、ウーンというわめく声も絶えたらしく元通りの静かな病室に還っていた。
(続く)
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