2010年12月29日

回想録 『第12震洋隊物語』 − (90)

著 : 辰巳 保夫 (乙飛練19期)

 独り病院に送られて

 今にも小便が漏れそうだ。 意識のないまま反射的に体をそのような要求に応じて動かそうとする。 そのとき自分の寝かされていた担架と床との間は5センチとはなかった。 変なところに寝ているなあーとは感じながらも ・・・・、足を動かそうとしたが、自分の体全体が釘づけにされたように重い。

 担架の端から持ち上げようとした右の足先きがずるりと床に滑べるようにして落ちた。 その瞬間、その足先きから頭へ向かって強烈な電流がグイと走った。 「ギャー」 という我ながらわけの分からぬ大きな声で叫んだのである。

 何一つとして物音もないシーンと静まりかえった病院の廊下に、この声は異様な音となって響きわたった。 異様な声を耳にした看護婦が詰所から飛び出してきた。 看護婦が何か言っているが全然私には分からない。 だが自分は病院にいることだけは分かった。

 副木に支えられた右足、その大腿部の付け根に、誰がしてくれたのか止血帯がしっかりと締めてあり、今はその止血帯が肉に食い込まんばかりで痛く感じるのであった。

 私は 「神福丸」 船上で敵機の爆撃のショックを受けて以来、丸2日以上も意識をなくし、そのまま永遠の眠りとなるかもしれない状態を続けていたのである。

 弾片に食いちぎられ、骨折した右足が床に滑り落ちたそのお陰か、こうした眠りから覚めたのであった。 小便がしたくなったことによる一連の動作が奇声発生に繋がり、私という個人が兵士として、また人間として再起し得る者として認められることになったのである。

 だからこの奇声発生という現象がなかったならば、私は恐らくそのまま病院の廊下に放置された状態で、後はどうなったことであろう。

 それからというものは、私の目の前を軍医、看護兵、看護婦が足繁く行き来した。 夕暮も迫まるころから私はギブス室に移され、脊髄液を採られ、下半身の麻酔注射を受け、骨折した足に軍医が額に汗をかきながらギブス包帯を巻いてくれたことを断片的に思い出す。

 ギブス包帯の表面に血が診み出し、それを頼りにギブスを丸く切り取り、外傷を受けた部分の治療が容易にできるようにし、初めてベットというものに寝かされた。

 それからは1日に1回か、2日に1回の回診があったが、包帯でぐるぐる巻きにされた頭は激痛が走り、ぼーとした頭は何も考える力さえなく、ただベッドにねじ伏せられたような状態が続いた。 彼の大久保彦左衛門の16歳の初陣の忍傷ではないが、自分も大小合わせて16箇所に及ぶ負傷であった。

 数日経って気が付いたのであるが、ある看護婦が綿に包帯を巻いて作った円座を私の尻の下に置いてくれていた。

 体温40度3分、看護婦がもそもそと何か言いながら体温計を片手で振り、カルテに記入している姿が目に写った。
(続く)
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