2010年12月28日

回想録 『第12震洋隊物語』 − (89)

著 : 辰巳 保夫 (乙飛練19期)

 コレヒドール島の守備 (承前)

 11月14日 「コレヒドールを骨幹とする海上阻止を強化するため、海軍協同を大いに期待する。」 という 「尚武策定」 のルソン島作戦要綱が決意された。 そして陸軍部隊からも1個大隊が配備された。

 またこうした要塞砲の整備とともに合計11の防空隊がコレヒドール島の外方にあるガバリオ、カラバオ島に配備された。

 かくしてこのコレヒドール島にある全部隊は 「マニラ湾口防衛部隊」 として発足し、同部隊指揮官は第31特別根拠地隊副長の板垣大佐が任命されたのである。

 12月20日 「尚武策定」 の中南部ルソン地区作戦指導要領によれば、「コレヒドール水道地区の守備部隊をもって、同地区を死守させ、震洋特別攻撃隊を密かに協同して敵艦隊のマニラ湾への進攻を撃砕する。」 と立案計画されていた。

 そこで震洋6隊の戦力を有効に発揮させるため統一指揮官の必要を認め、南西方面艦隊参謀小山田少佐が水上特攻隊指揮官に任命され、一応防備強化に邁進した。

  昭和20年1月末におけるマニラ湾口防備兵力の概要

      コレヒドール島  約4,500
      ガバリオ島       約400
      カラバオ島        373
      マリベレス       約160
      他に設営隊      干数百

corredi_map_1954_01_s.jpg
( コレヒドール島周辺   元画像 : 1954年版の米軍地図より )

 コレヒドール島は、この大戦当初の激戦の跡そのままに放置された状態であり、緑のネムの木が道路を覆っていた。 またそこかしこに赤い熱帯樹の花が咲き誇り、夜はあちこちで大トカゲが 「トッキー、トッキー」 と奇妙な声で鳴き、一見全く戦を知らない平和な島を思わせるのであった。

 第12震洋隊の隊員は以前米軍が使用していた兵舎を改築してそこに居住することとなった。

 木々はよく繁茂し、過ぎし日の日本軍のコレヒドール島進攻作戦がいかに激しかったかを物語るかのように幹には当時の砲弾が食い込んでおり、また大樹の枝もとなどに弾片がうまく止まっている、そんな光景があちこちに見られた。

 12月23日 「敵艦隊北上中」 の報告が舞い込んだ。

 急拠出撃準備中の第7震洋隊において火気取扱不良による失火 (実は装薬テスト中の震洋艇1隻にトラックが接触、このため大爆発となった) があり、震洋艇に装備した爆発尖がショートして爆発事故を起こし、一瞬にして震洋艇75隻、陸軍特攻艇14隻を焼失、第7震洋隊員90名のほか陸海軍兵士150名の尊い人命を失い、兵舎8棟を全焼した。

 この敵に関する情報は後で虚報であることが分かったが、誠に痛々しい悲劇であった。

 この間第12震洋隊では連日震洋艇の格納壕掘り、艇頭部の炸薬の取付け及び艇の整備に没頭し、ついに昭和20年の元旦は休みもなく続けられたのである。

 敵側の宣伝放送は日増しに募り、レイテ及びミンドロ島方面の戦闘の模様を流した。 一日の重労働を終えて休みながら毎日この放送を聞かされるのであった。 「糞ったれ、野郎ども嘘ばかり言いやがって・・・・」 とこの放送を聞き流すのであったが、またこの放送を聞くことによって我々はますます士気が奮い立つのであった。

 既に最前線という雰囲気も強くなり、元旦がやってきたがもう祝祭日どころではなかった。 毎日震洋艇のための壕掘りや、整備が続く、元旦の夜は隊員全員でビールや酒を酌み交わし声高らかに腹の底から 「同期の桜」 や 「若鷲の歌」 を歌った。 搭乗員達の中で酒に無縁の者は、基地隊員の心を込めて作った特大の大福餅にかぶりつき、餅に酔う者さえいた。
(続く)
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