2010年12月27日

『運用漫談』 − (14)

著 : 大谷幸四郎 (元海軍中将、海兵23期)

  その6 (承前)

 「運用の妙は一心にある」 と云ふことは意味が判然しない。 「運用の妙は一誠に在り」 だ。 唯夫れ至誠初めて神に通ずる。 神謀鬼策も至誠から出たものでなければ嘘である。

 又た自分は運用の眼は八方に在りと主張する。 何事も馬車馬的ではいけない。 四圍八方に著目して居れば、初めて萬全の途が見出せるものである。

 霧中航行の際は、正横後も時々見る必要がある。 霧には切れ目があるから、前に見えずとも後に見ゆることがある。 又水深を測りて、艦位を定めることも大に利用せねばならぬ。

 之れが爲めには英國の海圖は誠に好く出来て居る。 軍艦 「鞍馬」 「利根」 が英國を一周した時、同國北海岸は殆んど霧中であったが、海圖と測深に依て、安全に航海が能きた。

 軍艦 「春日」 で、印度洋で連日濃霧に悩まされ、只太陽の方向一つ (水準線見えず、高度不確實) で艦位を確かめつゝコロンボに入港したことがある。 「敲けよ開かれん」 だ。 考へれば手段は幾らでもある。

 位置を確實に知る爲めには、自己の運動を可及的正確にすることが必要である。 速力を無暗に變更したり、針路を無茶苦茶に變更したりして、航海長に正確な位置を記入せよと云ふのは、無理な注文である。

 逸人或る年の演習で、審判官として某旗艦に乗つてゐた時の事である。 伊勢湾を出た艦隊は海流に押されて、豫定より早く伊豆諸島の南西に近づいた。

 雨天で霧模様で、艦位が定めにくい暗夜であったが、其の暗中に在て、右往左往、丸で無方針に漂泊して、夜を明かすことになつた。

 此の潮流の強い處で此の行動だ。 自分は船乗として見るに見兼ねて、参謀に對し、

 『 少くとも時間速力を一定して、針路は可成八點か四點宛と定めて行動し、艦の位置を推定するに便利の様にしたらよからう、さうすれば陸岸に接近する危険も比較的少からう 』

 と忠告すると、それから其の様に行動した。 それでも、翌朝濃霧の裡に三宅島を発見した時は、何んでも十浬程の誤差があり、其の他の各隊は之れ以上の誤差があつたとか云ふことである。

 因に此の演習は濃霧の爲め、両軍殆んど相見えずして了つたのである。 何でも無い様だが、大事のことゝ思ふ。

 又艦位を確實にするには、各速力に對する機関回転を確實にして置くことも必要である。

 逸人嘗て曇天の暗夜、咫尺も辨ぜざる中で、館山湾に於て、全然自己の時計のみにより變針行動し、水雷艇隊を率ゐて、湾内深く碇泊せる軍艦 「扶桑」 を陸方面より襲撃した事がある。

 那古北條海岸の岩礁の如きは、僅に二百米を離して潜航したが、平常の測程に誤差なきを知つてゐたから、何等遅疑する所がなかつたが、後から航跡を入れて見ても、少しも誤算は無かつたのである。

 「扶桑」 は全く豫想外の處から襲撃されたものだから、水雷を全部發射する迄気附かなかつた。 遣れば遣れるものである。

 斯様な事を数へ立てれば果てしが無いから、此の邊で筆を止め、次には艦隊の列中に於ける艦位の保持に就て書いて見よう。
(続く)
posted by 桜と錨 at 17:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 『運用漫談』(完)
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