2010年12月26日

回想録 『第12震洋隊物語』 − (87)

著 : 辰巳 保夫 (乙飛練19期)

 12震コレヒドール島へ配属

 幾度か敵潜の攻撃と群がる敵艦載機の襲撃を受けたが、いつも奇蹟的にというか幸運に恵まれてというか、我々と 「神福丸」 はかすり傷程度の損傷を受けただけで見事マニラ港の岸壁にゴールインした。

 松枝部隊長はマニラ入港後直ちに第3南遺艦隊司令部に赴き、第12震洋隊のマニラ到着を報告した。 そして司令部からの命令を受けたのである。

 「今夜中にコレヒドール島へ移れ。 その後は同島の守備に当たれ。」

 いわゆる、マニラ湾口防衛部隊の一員として配属されたのであった。 部隊長の帰船と同時にこの命令は下達された。

 「神福丸」 と第12震洋隊は今日まで苦楽を共にし、この感激すべきマニラ到着を祝い、また 「神福丸」 に対して感謝とねぎらいの言葉を掛けるその暇さえなく、夜を徹してのコレヒドール島への移動作業が展開されたのである。

 「神福丸」 に積み込まれてあった積荷はもちろんのこと、軍需部からは更に必要な兵器、糧食、酒保物品等の緊急補給を受け、これらすべての物資を小舟艇に移載し、マニラの土を一歩も踏むことなくコレヒドール島へ直行した。


 敵大部隊はすぐ目前に迫った

 既にフィリピン全域における制海及び制空権は完全に敵側のものとなっていた。 横須賀を経ち丸々2箇月かけて 「神福丸」 は幾多の苦闘を続けながら、これらを無事に切り抜けマニラに着き大任を果たした。

 昭和19年12月15日 「神福丸」 のマニラ入港はマニラへ到着した日本の輸送船 (2,000トン以上の) の最後の船でもあった。 しかし 「神福丸」 もまた4日後の12月19日マニラ湾口において悲しくも敵潜により撃沈された。


 米軍ミンドロ島に上陸

 米軍を主とした連合軍は昭和19年10月19日レイテに上陸した。 以後苦戦しながらも随所で日本軍を撃破し、12月上旬に至たり、後は地上における掃討戦を残すのみとなり、レイテ方面の作戦に一応の 「けり」 をつけ、次の作戦目標を 「ルソン進攻、マニラの奪回」 に移し、準備の出来次第実施と決意したのであった。 その第1段の作戦がミンドロ島の上陸作戦となった。

 米第3艦隊はウルシーで2週間の休養をとった後、ミンドロ島上陸作戦部隊に合流した。 そのミンドロ島上陸部隊は護衛艦艇多数 (空母3、特設空母6、巡洋艦等20数隻、駆逐艦50) と輸送艦船約85、上陸用舟艇110からなる大部隊であった。 12月13日この機動部隊を伴った大部隊はネグロス島を西側から北上しミンドロ島に接近した。

 ミンドロ島への上陸を前にして、米軍側は基地航空部隊をもって連日フィリピン中南部にある日本軍の飛行場に攻撃を加えた。 更に14日から3日間連続して機動部隊は北部フィリピンにある日本軍に対し徹底した攻撃を加えたのである。 ( 「神福丸」 は洋上においてこの機動部隊の艦載機の攻撃を受けた。) これに対し日本軍側は特攻機をもって敵機動部隊に対し反撃を加え抵抗した。

 日本軍側にあっては敵がミンドロ島に上陸して来るとは全然予測していなかった。 15日になって情報を総合した結果、初めて敵がミンドロ島に上陸することを確認したのであった。

 連合軍のミンドロ島の獲得は、今後中・北部ルソン攻略の前進航空基地を設置することにあり、これにより更に大きな足場を築かんがためであった。 米軍はたちまちにして日本軍側の無防備状態に近いミンドロ島を無血占領したのであった。

 一方フィリピン方面における日本海軍航空部隊の実働兵力は12月17日現在28機であり、20日台湾方面から新編の特攻隊として37機、戦闘機17機が増勢された。

 ルソン進攻中の米機動部隊は18日同方面を襲った台風に遭遇し、駆逐艦3隻が転覆沈没、6〜7隻の艦艇が大破、800名以上の将兵が死亡した。 そのほか軽空母、戦艦及び巡洋艦の搭載機146機に被害を受け喪失した。

 増勢された日本海軍航空兵力による攻撃及び特攻攻撃は、連日夜間に敢行されたが敵に大打撃を与えるには至らなかった。 しかも日本軍によるミンドロ島の米軍に対する逆上陸作戦は全く行われなかったのである。
(続く)
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