著 : 大谷幸四郎 (元海軍中将、海兵23期)
その6 (承前)
されば常に自己の艦位を確實に知るには如何にすべきかと云ふに、海上の情況は千變萬化であつて、一々之に應ずるは到底人力の及ばない所であるが、只船乗リとして不断の注意を怠らない様にするの外はない。
逸人の先輩某艦長が
『 水雷艇乗りは當直将校として最も安心され得るが、航海長としては最も不安心である 』
と言はれたから、其の理由を聞くと、水雷艇乗りは當直中に種々の手段を盡して艦位を測定し、記入してくれる風があるから、安心して船を任せるが、之れを航海長たらしむると、乱暴な航路を取るから危険だと言はれた。
要は此處に在る。 海上は文字通リ流動性であつて、船は汽車の如く軌道を走つてゐない。 従つて航行中決してぼんやりして居ることを許さない。 目に觸るゝ一物だも之を等閑に附してはならない。 機に應じ變に臨み、時々之をチェックして置くときは、圖らずも是が其の用を爲し、不慮の災害を避けることが能きる。
前述甲軍の錯誤は全然天測のみに信頼した結果で、當日午後二時頃迄は〇〇崎の山頂が見えて居つたから、之をチェックすれば、艦位の東偏は速に分明したらうと思はる。
此の演習の終りに、第二戦隊が横濱港口から磐州鼻沖に回航し、指定の泊地に就いたことがある。 此の時朝霧があり、展望極めて不充分で、横濱から第一艦隊は見えなかつた。
戦隊は豫定の針路を東行したが、間もなく羽根田南方の浮標が見えたから、艦位は直ぐ測定が出来、それから東方に第一戦隊の艦影を認めることが能きたが、其の方向は第二戦隊の艦首よりは寧ろ右方に見え、其の位置の不正なることは一目瞭然であつたが、旗艦航海長は之に気附かずして、位置不正なる一戦隊を基準として自から針路を南方に轉じ、豫定の行動を取つたから、戦隊が碇泊位置に就かんとして反轉する際は、殆んど海岸の四尋線に接近し居り、自分は非常に危険を感じたが、幸に無事であつた。
後とで旗艦航海長に之を訊いた所、航海長は驚いて位置を測定して見た。 すると艦隊旗艦の位置は一浬餘南方に偏してゐることが知れた。 之れは一に艦隊旗艦の位置を正確なるものと過信したのと、又た旗艦が平然として標準旗 (注1) を掲げ居り、自己の位置の偏して居ることを知らせなかつた爲めである。
尚ほ千葉沿岸に接した時、陸上のピッケット (注2) や附近の浮標抔を見ても、位置の偏してゐることは容易に判つたのである。 顧慮すべきは過信であると同時に、四圍の状況に注意し、自己の立場を確認是正することである。
軍艦多摩で、暗夜に栗田湾 (注3) に入港したことがある。 粟田湾に臨む迄は、経ケ崎や博奕崎の燈光により、艦位を正しくすることが能きたが、愈々奥の方に入り錨地に就かんとしたる際は、燈臺の利用すべきものが無いから、左方に突出して朧ろ気に見ゆる山頂を唯一の目標とし、共の方位により錨地に就かんとしたが、方位の變ずるに従ひ山形も變化するから、測定は刻々に不正確に陥る傾向があった。 愈々投錨して見ると、大變左方に偏位してゐることを知り、錨地を變更した。
此の際愈々錨地に向つた時に、艦首に當つて民家の顕著なる燈光があつた。 今若し之を目標として、測距儀で距離を測り、艦位と燈光の関係位置を定め、爾後距離の變化に依り錨位に進めば、何の苦労もなく、又た極めて確實安全であつた筈だ。
失禮な言分だが、「阿房の一つ覚え」 といふ諺がある。 大学校や航海学校を出た自称机上戦術家や運用家には、こんな手合が可なりある。 留意すべき事だ。
(続く)
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(注1) : 海軍の旗旒の一つである 「番号」 旗の別名 この旗旒1つを掲げた場合には、当該艦が部隊 (艦隊) 全体の運動の基準となることを表します。

この旗旒の詳細な使用方法については、本家サイトの 『史料展示室』 で公開しております 『海軍信号規程』 (昭和18年海軍省極秘第435号別冊) をご参照ください。
なお、この旗旒を 『万国船舶信号旗』 (現在の国際信号旗) として使用する場合は、第2代表旗 (Second Sub) となります。
(注2) : picket 本来は先の尖った杭のことですが、ここではその様な形状で顕著な方位測定上の目標となるもののことを言います。
(注3) : 舞鶴と天橋立のある宮津湾との中間にあり、訓練中などの仮泊地としてよく利用されるところです。
( 元画像 : Google Map より )