2010年12月22日

『運用漫談』 − (12)

著 : 大谷幸四郎 (元海軍中将、海兵23期)

  その6

 大凡自己の位置、即ち立場を正確に知るといふ事は、一切の事に處するに必要である。 人間としても、頭相應腕相應に其の止まるべき立場がある。 之を忘れると不平が起つたり、又沐猴にして冠するものとして笑はれたりする。 注意すべきは常に自から反省して、自己の立場を確認する事である。

 艦船の運用に當つても、此の自己の位置、即ち自艦の位置を確實に知ると云ふ事が何よりも大切である。

 一切の運用は自己の位置を知って之を根基となし、以て初めて行動を起すべきものである。 一切の失敗衝突坐礁等は殆んど其の総てが、自己の位置を誤認して盲動するから起るものであると言うて差支へない。

 近頃は艦船の運用航海に使用さるゝ諸機械が非常に發達して、逸人等が大尉時代に比べると、天測用具も天測諸元も従つて天測計算法等も非常に進歩して簡単に成り、測距器具も殆んど完成の域に達し、全く隔世の感がある。

 然るに尚ほ衝突坐礁等が共の跡を絶たざるは何故乎。 共の原因は色々あらうが、機械が發達するに従つて、船乗の自艦の位置を確認すると云ふ注意心が薄れ来つた事も其の一因なるべしと思ふ。

 漫談第二第三の二回に亙る逸人の失敗談も、其の歸する所は一に自己の位置を知らずして盲動したと云ふ事に基因する。

 ヂュツトランド海戦に於て、英将ヂェリコーがビーチー将軍より接敵の報に接し、縦陣列から戦闘序列に展開するに當り、少くとも廿分間ぐづついたために、獨逸艦隊の先頭を十分に包圍壓迫するの機を失し、之を殲滅するの好機を逸したのは、主として自己の主力とビーチー隊の艦位に約十浬餘の錯誤ありて、獨逸艦隊の位置を正確に知ることが能きなかつた爲めである。

 而して當時海上靄霧の爲め、展望十分ならざ少し事は、ジェリコーの行動を大に掣肘するものありしとは云へ、敵弾が既にビーチー隊を飛越え、ジェリコー隊最右翼列の先頭艦バーラム號附近に落下しつゝあるに係らず、尚ほ自隊の推測位置に膠著して、率然として好機に應ずる能はず、遅疑逡巡したる形跡のあることは、将軍の爲め採らざる所である。

 近頃の艦船には、艦橋附近に作戦室が出来てゐて、非常に確實に作戦計畫を廻らすことが能きる様になつてゐる。 併し餘り作戦室の作戦に膠著して、活戦場の活機を掴むことを忘れると、飛んだ恥をかくことになる。

 ジュリコーの此の失策も、此の様な事に原因して居るのではないかと思ふ。 此の様な例は日本でも、演習等で屡々有つた事ではない乎。 注意を要する。

 一瞬時の燈光の漏洩、一首半句の無電が勝敗を決する本源となることを知らねばならぬ。

 某年度の大演習に於て、某地沖に於ける最後の甲乙両軍主力の對抗戦の時に、甲軍が自己の艦位に廿浬餘の誤測あるを知らざりし爲め、豫期に反して日没頃乙軍と行違ひの状況となりたることを知り、反轉して再び夜戦に移らざるを得なかつたが、常時乙軍水雷戦隊の勢が十分でなかつたのは、甲軍の幸とする所であつたけれども、若し乙軍にして十分の水雷戦隊勢力を有してゐたとすれば、甲軍は相當の損害を蒙つたことであらう。

 斯様な實例を算へ立てると、大は艦隊よリ小は一艦一艇に至る迄、其の實例は蓋し枚挙に暇がない。
(続く)
posted by 桜と錨 at 13:08| Comment(2) | TrackBack(0) | 『運用漫談』(完)
この記事へのコメント
はじめまして
運用漫談を興味深く読ませて頂きました。
”天測用具も天測諸元も従つて天測計算法等も非常に進歩して簡単に成り”とお書きになっていますが、現在でも天測計算は大正時代に考案作成された米村表を使用しております、ご存じとは思いますがこの計算表は日本独自のもので非常に精密に位置を出せます、外国では航空天測のやりかたと同じ簡易な計算表を使用しています。今更ながら米村中佐の凄さが思われます。
現外航船船長
Posted by コウジ at 2011年12月01日 09:29
 コウジさん、始めまして、管理人の桜と錨です。

 外航船の船長をお勤めですか、それは素晴らしいですね。

>米村表
 米村末吉中佐指導により大正8年入校の海大19期航海科学生が纏めたとされるものですね。

 この表が作成されるまでは、天測は文字通り球面三角を基礎とする手計算でしたから、位置の線一本出すのにも大変な手間暇がかかっていたことになります。

 『運用漫談』 が会報誌 『有終』 に連載されたのが昭和7年ですから、同表が海軍部内に行き渡った時期で、大谷中将が自己の若かりし時を思う時、まさに昔日の感があったことでしょう。

>現在でも天測計算は
 はい、今でも海上自衛隊の幹部候補生達はこれが必修で、卒業後の遠洋練習航海ではこれの実習をすることになります。

 もちろんこういうご時世ですから常用はGPSということになりますが、船乗りとしての常識は躾けておく必要がありますから。

( ただ、中には計算用紙を使わずにパソコンやハンディ計算機でやってしまう者もいるようです。 特に艦艇希望者以外は (^_^; )

 未だに私の書棚には昭和27年版の 「書誌第601号 天測計算表」 が計算用紙と一緒に並んでいたりします。  沢山の書き込みがあり、懐かしい思い出としても捨てるに捨てられず、というところで (^_^)


Posted by 桜と錨 at 2011年12月01日 14:37
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