2010年12月18日

「打方」 について (5)

 『別宮暖朗本』 のウソと誤りの続きです。

 舷側射撃も近距離となれば、照準にあったところで発射すればよいのだから、19世紀後半になると、むしろ古くさい方法とされた。 (p62) (p67) 

 「照準にあったところで」 と言っていますが、では “誰が” “何処で” “どの様” に照準するのでしょうか? 先に引用したとおり、自分で 「直立のタイミングを教えるだけ (目標を指定しない)」 (p29) (p370) と言っているのに、です。

 何ら正しい根拠に基づかずにその時その時で好き勝手に書いているので、自己の矛盾に何も気付いていないことがよく判ります。

 しかも、「一舷打方」 が用いられなくなったのは、前回もお話ししましたように 「速射砲」 の導入によって、その発射速度発揮のために 「独立打方」 が主用されるようになったからです。 近距離云々、など何の関係ありません。

 まさかこの著者、19世紀前半以前は遠距離射撃であった、などというのではないでしょうね・・・・? “とされた” などと言い切っているにも関わらず、何を言いたいのか全く判らない文章です。

 斉射とはグループ (左舷6インチ、12インチ主砲などに区分して) ごとの全砲門を、同一のタイミングで、同一の目標に対し、射撃することである。 (p62) (p67) 

 斉射法の特徴とは、サルボ (4門以上の砲を同一タイミングで同一目標に射撃すること) を試射から実行し、距離測定や敵艦速度・方向測定を、その弾着観測とともに、より正確にしていくところにある。 (p69) (p73) 

 「斉射」 が “グループごとの全砲門” でもなく、“4門以上の砲” でもないことは既にお話ししたとおりです。

 そしてこの著者には 「斉射」 という言葉と、「打方」 や 「射法」 という用語との違いが全く判っていないことも明らかです。

 「斉射」 とは単に砲の発射の “状態” のことを言うのであって、発射の管制の仕方を定義した 「打方」 でもなければ、射弾修正の方法などの 「射法」 のことでもありません。

 もちろん 「斉射法」 などという用語もなければ、その様な射法もありません。

 日清戦争のときの射撃法は 「独立打ち方」 (Independent Firing) と呼ばれた。 旋回手や俯仰手が指定された目標に対し、自分の砲弾が命中した、またははずしたのかを確かめ、次弾の狙いをつけた。 距離が3000メートル以内のため、砲手は自分の発射した弾丸を自分の目で追うことができた。 (p64) (p68) 

 先にお話ししたとおり、日清戦争当時には 「独立打方」 しかなかったわけではありませんし、また 「独立打方」 が日清戦争当時でしか用いられなかったわけではありません。

 当たり前のことですが、「独立打方」 を 「Independent Firing」 と呼んだかどうかはともかくとして、そのやり方は大砲が帆船に装備された時代からあり、日露戦争期にも、第2次大戦期にもあり、そしてもちろん現在でもあります。

 発射した弾が見えるのか見えないのか、ですが、少なくとも5インチ砲以上なら、条件が良ければ後方から “瞬間的に” 見えるチャンスはあります。 特に真後ろ付近から双眼鏡で見ていれば。 これは私自身が自分の目で確認していますので、間違いありません。

 ただし、この明治期において、まだ黒色火薬が主流だった日清戦争当時、自砲発砲の砲煙と衝撃とで、射距離3000以内、即ち飛行秒時6〜7秒以内では、射手 が飛行中の自砲の弾を “目で追う” ことなど絶対にできません。

 しかも、照準を続けている 射手の目の焦点は、そこにはありません。 それに発射した弾の弾道は照準線上にはありません。 そんなことは初歩の初歩です。 まさに 「講釈師、見てきたような ・・・・」 ですね。

 まだ大物が残っています (^_^;
(この項続く)
posted by 桜と錨 at 12:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 砲術の話し
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