2010年12月15日

「打方」 について (3)

 旧海軍において 「打方」 というものがキチンと整理されたのは明治30年代に入ってからのことです。

 明治35年における 「打方」 には、次の4種類が定義されていました。

      逐次射撃 (Fire in Succession)
      独立射撃 (Fire at Will, or Independent Firing)
      一斉射撃 (Simultaneous Firing)
      一舷射撃 (Broadside Firing)

 この時期にはまだ 「〇〇打方」 と 「〇〇射撃」 という両方の言い方が使われています。 例えば明治32年の砲術教科書では 「〇〇打方」 です。 これは後の時代のように 「射法」 というものが確立していなかったことによります。

 「逐次射撃」 とは、指示された砲、例えば一舷の砲全部が指示された目標に対して逐次順番に発射していく方法です。 通常は先に撃つ砲の砲煙が邪魔にならないように風下のものから発射します。

 この逐次射撃では、順次発砲していく間隔は 「並射撃」 においては約10秒、「急射撃」 においては約5秒が標準とされていました。

 「独立射撃」 とは、その名のとおり各砲が他の砲の発射を考慮することなく、その砲の射手が各自の最も良いと判断する瞬間、間隔で発砲する方法です。

 この独立射撃では、「並射撃」 が令されている時は射手が疲労を感じない程度で努めて射撃を継続できる発射間隔で、また 「急射撃」 の時は “命中を害しない程度において極度に発射を連続して行う” ものとされていました。

 「一斉射撃」 とは、当時は砲塔砲にのみ用いられるもので、連装砲にあっては左右砲同時に発射する方法です。 これはこの後になって 「斉発」 という用語が使われることになったことは先にお話ししたとおりです。

 そして、この一斉射撃は、 「連装砲塔の発射法」 でお話ししましたように、特別のことが無い限り安易に行う方法では無いことが規定されていました。 その理由として、特に砲塔動力としての水圧の問題で、これを行うと極端に装填・発射間隔が遅くなることが指摘されています。 それでなくても、12インチ砲塔の装填秒時が最少でも2分と言われていた時代ですから。

 「一舷射撃」 とは、旧海軍の定義では次のとおりとされています。

 基砲を選定し之に準じて一舷の各砲に所要の射距離と旋回度を付与し之を同時に発射して敵艦に集弾するの方法にして、即ち 一舷側各砲の一斉射撃なりとす

 例えば、次のようにします。

broadside_01_s.jpg   broadside_02_s.jpg

 そしてこの明治35年の段階では、この 「一舷射撃」 については次のように記されています。

 此射法は艦速砲火の威力共に大ならざる十数年以前に行われしも方今之を行うことなし

 日清戦争における黄海海戦の戦訓を待つまでもなく、各砲の射手による砲側照準の時代ですから、速射砲の長所を活かし短時間に最大の命中弾を得るためには、独立打方にならざるを得なかったことは当然の成り行きでしょう。

 では、以上の4種類の 「打方」 が旧海軍独自のものであったのか、というとそうではありません。 1880年 (明治13年) に英海軍が出した砲術書 『Manual of Gunnery for Her Majesty's Fleet』 においても、これらについて詳述されています。

RN_gunnery_1880_01_s.jpg

 つまりこの時代、旧海軍は造船・造砲などの技術だけではなく、砲術についても英国に範をとり、それに倣っていたことが判ります。
(この項続く)
posted by 桜と錨 at 15:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 砲術の話し
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