2010年11月24日

『運用漫談』 − (9)

著 : 大谷幸四郎 (元海軍中将、海兵23期)

  その4 (承前)

 世界大戦の時、駆逐隊司令として新嘉坡方面に行動したが、其の時自分より先きに出動した部隊は出帥準備として教練射撃弾薬は総て陸揚げし、標的材料の如きも無論陸揚げして出掛けたものである。

 併し自分は敵前なれば兎も角、新嘉坡方面の警備では、時に教練射撃をやる餘地はあるだらう。 自分の隊は新造駆逐艦を以て、新に編制せられた隊であるから、訓練上から見ても教練射撃をやる必要があるので、教練射撃用の弾丸は全部積むことゝし、標的材料も二た組積むことゝして出掛け、さうして向ふへ著いてから、毎月一回宛色々の想定の下に教練射撃をやつて居つた。

 所が警備戦隊一般の士気が何時となくだれて振はないのに、獨り自分の駆逐隊員のみ元気極めて旺盛なりといふ事が誰れ言ふとなく言はれる様になり、後には司令部よりどう云ふ譯かと聞かれる様になつた。 夫れで自分が考へて見るに、何も他と異つた事はない。 只毎月二回づゝ鐵砲の音を兵員に聞かすだけの事であるといふことを発見したので、夫れを司令部に報告した所、司令部では便船を以て、教練射撃用弾薬を取寄せる事になつた。

 兵員には時々鐵砲の音を聞かすといふ事が、士気の緊張上極めて必要であり且つ有効な事であると思ふ。


 其の翌年 「春日」 艦長として濠洲方面に五ケ月餘もぶらついたが、教練射撃は許されなかつたけれども、外筒砲射撃や、演藝會や、マラソン競争や、端舟競漕抔で、士気の緊張を保つことに力めたが、五ケ月の後にも、「春日」 には日本へ帰りたい、新嘉坡へ迄でも帰りたい抔思ふ様な兵員は一人もないと言ふので、司令部を驚かしたことがあつた。

 併し乍ら此處で注意すべきは餘りに度を越えると云ふことである。

 「春日」 が初めて新嘉坡を出て、濠洲へ向ふ時に、バンカ水道に這入ると間も無く、水平線にマストヘッドが見え、夫れが軍艦らしい、見れば英国の軍艦で、何か旗を揚げてゐる、何であらうと見れば、旗は分明なるも其の意味が不明、大にまごついたが、夫は味方信號であつて大に赤面した。

 獨逸軍艦 「ヱムデン」 がペナンを荒らして、露西亜軍艦 「マンヂュリー」 を撃沈し、揚々として引揚げた。 當時日本の某巡洋艦は其の三日前に矢張りペナンに碇泊してゐて、艦長杯多数士官は上陸して居つた。 其の後艦長は

 『 「エムデン」 の話を聞くとぞつとする。 若し彼れが三日前に来たら、己れも 「マンヂュール」 艦長見た様な目に會ひ、醜名を天下に流すことになつたたらうと思ふと、冷汗が出る 』

 と曰はれて居つた。 之に類した考を自分も尚ほ一二回持つた事がある、注意すべきはどこ迄も油断大敵である。

 比の様な事を書き立てると果てがないが、要は兵員の耳目を日に新にし、轉換せしめるに在つて、夫れには實戦と實際の気分を常に彼等の眼前に彷彿せしむると同時に、一方にはユトリのある安楽な、面白い空気の中に安心立命的生活を営ましむることが大切である。

 比の位ゐの事は苟も一艦の長たるものは百も承知だらうが、夫れが案外實行されてゐないので、敢て拙筆を弄した次第である。
(続く)
posted by 桜と錨 at 17:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 『運用漫談』(完)
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