2010年11月13日

「内筒砲射撃」 について (補)

 日露戦争期の内筒砲射撃について3回に分けてお話ししましたが、それではその内筒砲射撃はいつ始まって、日露戦争後はどうなったか、について補足しておきたいと思います。

 しかし、実はこれがよく判りません。

 旧海軍において内筒砲射撃というものが何時から始まったかと、旧海軍の文書で出てくるのは、今日残されている限りでは、明治19年に始めて艦砲射撃訓練に関する規則として制定された 『常備艦隊艦砲射撃概則』 が最初のものと考えられます。

 その概則で、次のように記されています。

  「 第21条 教練射撃は1ヶ年に1回其の艦の便宜に従ひて之を施行す 而して内筒 (チュブを言う) の装置あるときは其の射撃をも施行すべし ・・・・ (後略) 」


 これを見る限りでは、明治19年以前の早い時期から内筒砲が採用されていたものと推察されますが、当時は実際に現場でどの程度活用されたのかまでは判りません。

 そしてその後この内筒砲の価値が認識され、少なくとも、日露戦争においては、これを使っての猛訓練が行われたことは先にお話ししたとおりで、ハッキリしています。

 それでは日露戦争後はどうなったのか?

 日露戦争後においても、射手の 「照準訓練」 というものが重視されたことは変わりがありませんが、内筒砲に替わる新たな方策が求められたことも事実です。

 1つに戦艦の主砲のような大口径砲においても、小銃口径の内筒砲を使うのはやはり実戦的ではないということです。 第1次大戦の戦訓として射程距離が伸びてからは特にです。

 2つ目は、艦隊根拠地ならともかく、鎮守府等所在港湾で停泊中に訓練をするにも、狭い湾内で一々標的を海に浮かべ、かつ小銃口径とは言いながら実際に多数の弾を艦外に向かって撃つという不便さがあります。

 その結果として、大口径砲においては外洋で使う 「外筒砲」 に替わり、また停泊中は照準訓練を各砲塔毎に単独で実施できるように 「照準演習機」 が採用されました。

gaitouhou_03_s.jpg    gaitouhou_02_s.jpg
( 36糎砲に装備された短八糎外筒砲とその射撃の様子 )

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( 大口径砲塔への照準演習機装備図 )

dotter_03_s.jpg   dotter_04_s.jpg
( 36糎砲塔への照準演習器の装備状況 )

 これらのものは太平洋戦争まで継続して装備され、使用されましたので、これらの写真などは皆さんよくご覧になられると思います。

 しかしながら、外筒砲や照準演習機がいつから導入されたのかはハッキリとしません。

 照準演習機については、日露戦争前の明治34年には既に下の写真のような 「スコット式照準稽古機」 として知られているものがあります。

dotter_05_s.jpg
( Percy Scott 著 『 Fifty Years in the Royal Navy 』 より )

 しかしがら、大口径砲用もこれと原理的には同じですが、何時から砲塔に直接装備するものが導入されたのかは判りません。

 また、外筒砲については明治40年の 『艦砲射撃規則』 の改訂で

 「 「内筒砲」 とあるを 「内筒砲外筒砲」 に 」

 改めることとされていますので、この時点までには艦隊に導入されたものと考えられます。

( なお、小銃口径内筒砲が入らない小口径砲用に廣木海軍技師考案の 「小銃口径外筒砲」 (前回の写真のもの) が採用されたのは明治39年の内令309号をもって、また昭和期まで大口径砲用として使われることになる 「短三吋外筒砲」 (後に 「短八糎外筒砲」 と改称) の採用は大正5年の内令兵2号です。)

 また、小中口径砲では縮射弾を使用した 「縮射弾射撃」 という訓練方式も採用になりました。 この縮射弾の初期のものには下図のようなものがありますが、大正期以降に使われた各種砲用のものの詳細はよく判りません。

shukushakudan_01_s.jpg

 そこで、では内筒砲はいつ頃まで行われたのか、と言うことですが、これも実態はよく判りません。 上記にご紹介したものが導入されるにつれて順次この内筒砲射撃と交代していったと考えられますが、少なくとも文書上では大正2年改訂の 『艦砲射撃規則』 からはこれについての記載がありません。

 したがって、大体この時期に表向きは取り止められたものと考えられますが、内筒砲そのものを破棄したわけではないようですので、小中口径砲では艦によってはその後も訓練に活用されたのかもしれません。

 大正5年から方位盤射撃装置が逐次各艦に装備され始め、これによって照準は基本的に方位盤照準が主体となりました。 また第1次大戦の戦訓を受けて砲戦距離が一挙に延伸されたことにより低位置の砲塔・砲廓は不利となったため、砲側照準は必然的に副次的・予備的なものとなりました。

 このため、平時の訓練においても、砲側照準の機会も次第に少なくなり、かつ基礎的なものは照準演習機や縮射弾射撃で、そして外洋では実弾射撃の前段階としての外筒砲射撃を活用によって、次第に内筒砲射撃の出番は薄れていきました。

 これも一つの時代の流れですね。
(この項終わり)
posted by 桜と錨 at 16:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 砲術の話し
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