2010年10月28日

『運用漫談』 − (5)

著 : 大谷幸四郎 (元海軍中将、海兵23期)

  その2 (承前)

 夫れから間もない事である。 隍城島 (下図参照) を基地としての哨戒法は四日間宛で交代する事と成つて居つたが、一日自分は交代を終り、小平島錨地 (下図参照) に帰らんとし、午後一時出港、午後五時小平島に入港の豫定で、隍城島を出港し、極めて呑気な気持で航海しつゝあつた所が、午後二時頃旅順方面から勃海湾方面へ掛け、黄色の雲の様なものが満天に広がり、凄惨な光景を呈して来たが、自分は夫れが何なるかを知らず、濃霧の襲来かなあ位ゐに思つてゐた所が、夫れは支那人の所謂黄塵萬丈といふ奴で、どうしてどうして萬丈どころか数千萬丈だ。

 夫れから愈々此の塵幕へはいると、此の地方の特色たる三寒四温の始まりで、凜烈たる北風が暴風の様に荒れて居るではないか。 今迄の歓楽境は忽然として濃霧中の暴風地獄と成った。

 推測によると、艇の左前方には、「初瀬」 「八島」 のやられた敵機雷の敷設面たる]地點 (下図参照) があり、右前方には遇岩 (下図参照) がある。 艇の位置は充分に確信がない。 頗るまづい気持と成ったが、三寒で三日吹くといふ事に気附かず、一時の疾風だらう位ゐに考へ、其の儘続航したが、風は止めばこそ、益々強暴を加へるのみだ。

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( 元画像 : 防衛研究所図書館所蔵 『聯隊機密綴』 より )

 隍城島を出る時に、鶏二十羽、梟二羽、小鳥数羽を持つて居つたが、寒さと浪で皆な死んで了つた。

 愈々]地鮎に近づいたが、右には遇岩があり、艇位が不確實であるので、どうする事も出来ず、其儘の直進し、夜の十時過に、初めて旅順黄金山の探照燈を発見した時には、全く蘇生の思ひをなした。

 七時間の奮闘で、着物は肌迄びしょ濡れ、夫れが肩ヘドッシリと重もり掛り、押しつぶされる様に覚え、寒さは寒し、士官も水兵もへトヘトで、綿の様に疲れてゐる、正子の頃漸く小平島錨地に入ったが、沖の錨地は波浪があり、動揺がひどいから、水兵を楽にしてやらうと考へ、暗夜で危険を感じたけれども、岩礁の間を通り、奥の錨地に入港し、ヤレヤレと思ひつゝ右舷錨を投じた。

 所が約七位の風 (注1) を右舷に受けて居るから、錨は少しも効かない、次で左舷錨を投じたがまだ効かない。 艇はドシドシ左方に流され、間も無く艇尾のガード (七十一号は推進器の下に強固なる保護楯あり) が海底に触れ、艇は之を中心として艇首を九十度振り廻はし、風を全く艇尾に受けて、擱坐して了つた。

 直ちに小平島見張所を通じ、艦隊へ 『我れ坐礁』 の信號を発し、何とかしようとしたが、比の邊は一帯にファイン・サンド (注2) の遠浅であるので、艇底の傷む虞れはない、又た何とするも仕様がないので、作業を中止して休憩を命じ、天明を待つ事にした。

 其の後聞く所によると、水雷戦隊司令官や幾多の僚艦では大変心配して、何とかして救助せんとし、終夜寝なかつたといふ處もあり、大に恐縮した。

 翌朝になつて見ると、艇は全く陸上に在り、潮は遠く引き去つて居るので、艇底を調査したるに、何處も損害はない。 曩きの猴磯水道に於ける觸礁の跡を見るに、塗具が一寸剥がれてゐるのみである。

 夫れより艇底の手人や種々離礁の準備をなし、夕方の満潮を待って離礁せんとしたが、潮はー向に来ない、其の翌日も其の翌日も来ない、第四日目の朝になり、風が凪ぎると、潮は洪水の如くやつて来て、艇の處は一丈にも成つたので、楽々と沖に出る事が出来た。

 此の潮の奇なる現状は何でもない事である。 夫れは勃海湾の様な處で、一定したる北方の強風が吹き続くと、湾内の潮水は遠く南方に圧し出されて、満潮の時でも北進し来る事が出来ないが、一旦風が凪ぎると盛なる勢で迫入し来るものである。

 以上二回の失策は第一回は海図を見るにぼんやりしてゐた事、第二回は投錨に際し、風圧に対する注意皆無なりし事に原因するので、全く艇長ぼんやりの罪である。 只幸運にして何等の損害を招来せざりし為め、懲罰にもならなかつた。 之れ又た逸人の運が好かったので、神に謝する所である。
(続く)

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(注1) : 風力階級7は、強風 (moderate gale) といわれ、風速13.9〜17.1m/sで、波頭が砕けて白い泡が風に吹き流されるような状態です。


(注2): Fine Sand  海底の底質の表記法の一つで、直径0.25〜0.05ミリの細砂であることを示し、海図上では 「f.s」 と記されます。

 
posted by 桜と錨 at 14:18| Comment(2) | TrackBack(0) | 『運用漫談』(完)
この記事へのコメント
はじめまして。
○○○期練習員、○○○○士航海の、名前はまあアンノウンでお願いします。

非常に興味深くかつ大変参考になるお話です。

恥ずかしながら私も21ftのヨットで走錨座礁の経験がありまして、シングルハンドでしたので失態は誰に見られることもなく(?)無事脱出(底質砂泥)、何食わぬ顔でマリーナに舫いをとりましたが、実に冷や汗ものでした。

自衛隊時代も錨泊艦横付けやハイライン時の操舵で思わぬ風落や風上への艦首の切り上がり等、思わず操艦者と引きつった顔を見合わせ、何とか凌ぎお互いほっと安堵をついたことも。

原理原則セオリーや理論は伊達ではなく、それらを徹底的に身に付けた上での臨機応変、運用の妙・応用の妙ですね。
船や海での慢心は手荒いしっぺ返しが待ち構えているので、先人の経験や知恵には謙虚に学びたいと思います。
Posted by UNK at 2010年11月02日 23:34
 UNK さん、初めまして。

『運用漫談』 お楽しみいただけているようで、連載のし甲斐があるというものです。

 ご指摘のとおり、海の上というのはまさに千変万化、所謂 “潮気” を身に着けるのは知識と経験ですね。

 例えば嵐の中で、揺れや波の叩かれ具合が赤黒の5とか10でどれだけ差が出るのか、これはもう実地でやって会得する以外に方法はありません。

 ヨットをおやりになるとか。 この 『運用漫談』 の次ぎに連載を予定しております旧海軍の名著 『艦船乗員の伝統精神』 の中でも、海を知るには帆走訓練が一番だとされています。 素晴らしいことですね。
Posted by 桜と錨 at 2010年11月04日 19:56
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