2010年10月19日

『運用漫談』 − (1)

 
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 連載の開始に当たって

 これから連載を致します 『運用漫談』 は、大谷幸四郎氏が予備役編入後に海軍の離現役士官及び特務士官の親睦団体である 「海軍有終会」 の会報誌 『有終』 に昭和7年から同9年にかけて投稿したもので、これを有終会が改めて1冊に纏めて同会より刊行したものです。

 大谷幸四郎氏については、馴染みのない方が多いのではないかと思いますが、海兵23期卒 (明治29年)、以後水雷畑に進み、水雷艇艇長、駆逐艦長などの所謂 「車引き」 の道を歩まれ、身を以て波飛沫を浴びながらの勤務をされました。 このためもあって、後年この 『運用漫談』 にみられるように運用術に関する大家となられたわけです。

 第11駆逐隊司令のあとは、大正4年 「春日」 艦長に補せされたのを初めとして、以後順調に海軍将校としての出世の道を歩まれ、昭和5年に呉鎮守府司令長官を最後に予備役に編入されました。

 この 『運用漫談』 が書かれたのは昭和9年ですので、中には既に古くなってしまったことも当然ありますが、それでも現在でも充分に艦艇勤務において適用できるところも多く、所謂 「シーマンシップ」 の基本でもあって、今日にも通用する運用術の原点です。

 お読みになる方で、ご自身ではあまり船に乗られたことのない方には、少々判りにくいところ、ピンとこないところがあろうかと思います。 専門用語などについてはできるだけ注釈をつけるようにいたしますので、どうか海上勤務の一端を感じ取っていたき、船乗り気分を味わっていただければと思います。

 なお、文中に 「逸人」 とか 「船堂生」 とかが出てきますが、これは元々の 『有終』 掲載時に 「船堂逸人」 の名で発表したためで、著者大谷氏の自称のことです。

管理人 桜と錨

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『 運 用 漫 談 』

著 : 大谷幸四郎 (元海軍中将、海兵23期)

 その1

 逸人元来頭が悪い、殊に数に対する記憶力が極めて悪い。 従って漫談中の故事は精確と言へない。 夫に加へて怠け者で、記録類を一つも持って居ないから、凡て抽象的に陥り易い。 此の點読者の御見許しを乞ふ。

 又所謂漫談である。 其の餘沫を喰って、御迷惑を感ぜらるゝ人も多からうかを恐れるが、口幅廣い言ながら、後進教育の為めにする事であるから、之れ亦豫め御見遁がしを乞ふ次第である。

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 逸人兵学校四號生徒 (注1) の時、運用術教員に白井と云ふ三等兵曹がゐた。 昔時二等兵曹三等兵曹は未だ水兵服を着て居った。 或日力ッ夕ー帆走稽古の時に、逸人コックスン (注2) の役目で、上手廻し (注3) をやったが、どうしても旨く行かない。

 白井教員之を見て、シート (注4) を固縛して、艇員は皆艇首に集まれと言はれたから、その様にして見ると、艇は獨り手にくるりと上手廻しをやって了つたので、逸人大に恥をかかされた次第である。

 共の時白井教員は

 『 大凡行船には、ツリム (注5) に気を附ける事、帆と舵の作用の相互関係等に就て考慮する斯あらねばならぬ 』

 と言はれた。 此の事は逸人一生忘れ得ない所である。

 近代の戦艦巡洋艦等に於ても、ツリムミングタンクと言ふものがある。 之を利用して、常にツリムを良好に保つ事に注意して居る様にすれば、廻転圏や隋力等が一定して操艦上得る所が多い。

 逸人若き時、三等駆逐艦で、紀州大島沖で暴風に遇ひ、艦首を南から西に向けようと致したるに、艦首が南々西に向つた儘で、どうしても夫れ以上に回頭しない。 常時風浪強く、12節以上の速力を出す事が出来ない。 一時間餘も波と戦って居る内に、段々沖に出て、漸くにして西に回頭する事が出来た。

 之れは矢張りツリムと舵力と乾舷に受ける風圧等の相互関係から来る現象である。 ツリム状態の悪い二三等駆逐艦に乗ったもので、此の様な目に遇ったものは可なり多からうと思ふ。
(続く)

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(注1) : 海軍兵学校における最下級生のこと。 要するに1年生。 なお、兵学校は4年制の時と3年制の時とがありましたので、後者の場合は当然ながら最下級生は3号生徒になります。


(注2) : Coxswain、艇長。 海軍においては特に断りがなければ艦載艇などの 「短艇長」 を意味します。


(注3) : 帆走において風上側に間切って進む場合に、その風を受ける舷を変える時に艇首を風上側に回頭させ、そのまま風上を横切って反対舷に針路を変える操作をいいます。


(注4) : sheet、帆走において帆を展張し維持するため索のこと。


(注5) : trim、船の釣り合い (balance) のこと。 特に断り無く 「ツリム (トリム)」 と言った場合には、船体の前後の釣り合いのことで、前部吃水と後部吃水との差のことをいいます。 正規の正常な状態の時を 「イーブン・ツリム (even trim)」、それよりも前部が深く後部が浅い状態を 「ダウン・ツリム (down trim)」 又は 「バウ・ツリム (bow trim)」 と言い、その逆は 「アップ・ツリム (up trim)」 あるいは 「スターン・ツリム(stern trim)」 と言います。

 本項の例では、ダウン・ツリムにすることにより艇の重心及び浮心を風圧中心であるM點より前にすることによって、自然と艇は風上に立つように動くことをいいます。 したがって、この状態である程度の勢いを付けて走っていれば自然と艇は風上に向くような力が働き、舵を切れば、その回頭の勢いで風向きの反対側まで回ることができることを教えています。


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     本来が人員・物資輸送用であり、救命艇でもあるカッターでの帆走は、ヨットなどのような身軽なものと異なり、この上手廻しの様に運用術上の “コツ” が要求されます。


posted by 桜と錨 at 14:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 『運用漫談』(完)
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