2010年10月09日

回想録 『第12震洋隊物語』 − (18)

著 : 辰巳 保夫

 横須賀での外出 (承前)

 この日の外出時間の門限いわゆる帰隊時刻は夕食時までであった。 横須賀は軍港であり軍都であった。 したがって海軍さんが一杯でうようよしていた。 それに兵曹、士官がまるで多い。 だから敬礼また敬礼でひどい時には30メートルぐらい手を挙げっぱなしということもあって、青春を謳歌するとか腹一杯清浄な空気を吸って英気を養うということはほど遠い感じがした。

 当時の軍港の風景などは、高塀で囲まれており外部から軍港の施設の見えるところは鎮守府の正門 (現在の米海軍基地のゲート) から菊の御紋のついた鎮守府の庁舎とその森とガントリークレーンだけであった。

 正午過ぎからはどこをどううろついたか覚えない。 あと外出時間も2時間あまりとなり、横須賀駅から一駅区間ではあるが田浦に向かった。 当時は国鉄の電車を利用するのが一番便利でありこれを利用した。

 田浦駅で降車し海側の道を行けばすぐ水雷学校の正門に出るが、山側の道を歩いてみようということになった。 横須賀−田浦間の道路は約5か所のトンネルがある。 毎朝足を強くするためこの道路を駈足した。 当時は走る自動車も少なく、特に早朝はほとんど走ってなく静かなところであった。

 一つトンネルを潜ると、そこに田浦下士官集会所(現在社会館のあるところ)があり、ここを覗いてみようということになった。

 建物は横須賀のそれとは比較にならないほど小さなものであったが、その中にはかなりの兵隊さんがいた。 食堂でおいしそうなカレーライスを売っていた。 見たら食わずにおれなくなった。

 若いんだなあ、カレーライスをペロリと平らげ外に出ようとしたとき、何の為に列を作っているの判らない列が目に入った。 並んでいる兵隊になんとはなしに尋ねてみると、菓子を間もなく売り出すということであった。 その答の終るか終らないうちに販売が始まった。

 ところが、ここでは兵曹が大威張りで、皆の並んだ列に割り込んでいる。 醜い姿であった。 日本海軍の一番悪い点であった。 私はこの醜い姿に対してはすごく抵抗を感じたが、当時はどうにもならないことであった。

 兵隊は早くから列を作り順番を待っていたのだから、中には不満を口に出すのは当然のことであろう。 私が見ていたときにやはり下士官に向かって不満の何やらを言った兵がいた。 ところがその下士官は兵の軍帽をパッと取って列と反対方向へポーンと投げやった。

 何という光景であろう。 嫌やだ嫌やだこんなことを今更見たくなかったのですぐ外に出た。 私はこういう下士官の行為に対しては反感を抱かざるを得なかった。 優悦感からの行為であろうか。 先任者として当然行なえる行為であると思っていたのであろうか。

 上級者になれば下級者に絶対的服従を教えたことは軍人として当然と考えられるが、それが逸脱して下級者を圧服せしめるような行為となってそれが日常の生活の中に表われ、一般社会に出てまでも傲慢な振舞をしていたのである。 自分だけはどうしてもそんな海軍軍人になりたくなかった。

 予科練での生活の中でも班長であった下士官の中にこのような人がいた。 自分達に与えられた特権だとして、また自分達もこのようにして教育を受けたので暴行を下級者に施など賢い者のすることではない。

 一部の中堅下士官のこのような横暴な態度は、兵を教育する者としての資質に欠ける行動ではなかっただろうか。
(続く)
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