著 : 辰巳 保夫
特攻兵器の猛訓練 (承前)
秋田谷の言った、白いものが何ものであるか2人で見直して見た。 するとそれは海岸の石垣 (岸壁) であった。 まだ100メートル以上はあった。
「このパイプの口が冷却水側だろ。」
彼もはっきりそうだと言わない。 だがぐずぐずしておれない、私は意を決し自分の思った側のパイプに海水を汲んで入れることにした。
彼の手袋を外させ、彼の両方の手でパイプのロにあたかも漏斗のようにさせ、私は艇の外舷に身を乗り出し、“垢汲み” で海水を汲んでその中に懸命に入れた。 小さなロからは思うように水は入らない。 岸壁との関係を気にしながらである。
そうこうしているうち岸壁との距離が20メートル足らずとなった。 私は艇の中にいる彼にオールを探させ、手探りで捜し出したオールを私は手にしっかりと持ち、なるべく岸壁に寄せられないように漕いだ。 懸命の努力も自然の力に勝つことはできない。 彼も私に代ってオールを握る。
「秋田谷、エンジンをかけてみろ。」
岸壁はもうそこに来ている。 秋田谷は無言のうちにすぐエンジンスターターを引っ張った。 ウウウーン、クンタンクン ・・・・ としばらく音を立てて、セルモーターが回るが起動はしない。
もう絶体絶命、岸壁を艇が擦ったりすればそれはベニヤ板、御陀仏になってしまい、海水温度を2人して計らなければならなかった (海軍では海へ落ちることを 「海水温度を計る」 と言った)。 2人とも航空機搭乗員用の救命ジャケットを着けているので溺れることはまずなかった。
「秋田谷、お前も出てこい。」
そして2人は両方の足を艇外に出し踏ん張って頑張った。 約20分ぐらいであろうか、もう無我夢中であった。
「おーい、お前たちは何をしているんだ。」
と懐中電灯で照らされたほうに顔を向けるだけ、野中と中村の乗った艇がすぐ近くに来ていた。 やっと救いの神子が来たわいな。
私は1人で踏ん張っているから、すぐ秋田谷に自分の艇の頭の舫索を投げて渡し、曳航してもらうように言った。 素早い動作で舫がとられ、間もなく曳航されることになった。
自艇スターンを当てないように一跳し、やっと岸壁から離れ、今までの死闘も束の間の幕となった。 それからは曳航されているのでもう呑気なものであった。 彼と2人で
「今夜はえらい目に合ったなあ。」
と大笑いをした。 息のつく間もないとは少し大袈裟だが、飛行服のポケットの中に入れておいた菓子のことはすっかり忘れていた。
「おい、菓子でも食えや。」
と暗いのを幸い、ポリポリと食べながら長浦港へと帰路についた。 僚艇も訓練が終りどんどん追越して行く。
長浦港に停泊中の大小さまざまの潜水艦から、一斉に巡検ラッパが喨々な音色で響き渡って来る。 陸上の燈火が水面に映り、細長く一条、二条三条と、それがゆらりゆらりと動いている。 戦時の最中であるが長閑な軍港内の夜景であった。
巡検とは海軍生活の1日の締めくくりであり、艦内等の点検を行なう。 私達は今まで厳格にこの巡検を1回も欠かさず受けてきたのである。 だが今このようにして海の上で艦艇や陸上部隊の各所から聞えてくるラッパの音を開きながら、第三者的存在の立場について味わう巡検の光景は格別なものであった。
後日、故障艇のエンジンを整備員が分解検査をしたところ、潤滑油に大量の海水が混入していたことが発見されたとのことであり、誰かが海水を潤滑油注入口から入れたのだろうということになった。
そんなに海水が入るわけがないと、そしてエンジンが赤く銹ていて、すんでのところ使いものにならなくなる寸前だったと、特別訓練中の搭乗員総員が整備担当准士官に大発破を食らった。
その犯人は誰か、我が輩であった。 潤滑油注入口と冷却水注入口とが判らなかったとは ・・・・。
(続く)
大戦末期、宿毛在住の年配のお爺さんが幼少の頃、山の上から轟音を立てて柏島〜宇須々木方面へ猛スピードで訓練している「震洋艇」を目撃したそうです。
かなりのスピードと音に驚かれたそうです。
震洋は通常の一型は16ノット(時速約30km)で、二人乗りの五型でも27ノット(時速50km)です。 実際の突撃時でエンジンが壊れることを覚悟の特別全力ならもう少し出ます。
現在ならその辺にある漁船でももっと早いものが沢山ありまが、当時としてはこれでも早いように見えたのかもしれませんね。