2010年10月03日

回想録 『第12震洋隊物語』 − (12)

著 : 辰巳 保夫

 特攻兵器の猛訓練 (承前)

 今日も実艇による訓練、「エンジン快調」 隊列を組んで長浦港を出て行き、港外、横須賀防波堤付近で突撃訓練を繰り返した。

 ある時は、将旗のへんぽんと翻える巡洋艦「大淀」に向かって突入、敵艦を想定しての実物目標艦としては最適であった。 この時 「大淀」 は連合艦隊旗艦とのことであった。 「大淀」 の後甲板から将官らしき人がじっと我々の訓練を見ておられた。 その人こそ司令長官の豊田副武海軍大将であった。

 マル四艇は欠点があった。 高速で運転中、スロットルレバーを急速に低速とすると、次にまた高速で走ることができなかった。 それはエンジンが加熱して高温となり、海水を利用しての循環冷却水が蒸気となって、冷却水排出口から噴出する結果となり、艇はストップしてしまい、しばしば訓練中の僚艇から取り残されることがあった。

 1週間ぐらい経って、いよいよ部隊編成が行なわれることになった。 19期の私達から名前が呼ばれていった。  ところが20期の者はそれぞれ好きなところへ適当に付けといわれ、個人の自由意志による妙な部隊編成がなされたのである。 このことは、第12震洋隊を選んだ20期生は生死の運命の別れとなった。

 第12震洋隊は隊長未定のまま編成され、香西少尉 (宣良、海兵72期) が兼任された。

 昼間の訓練も10日あまりで終り、あとは夜間における訓練へと進んでいった。 夕暮の迫る頃、長浦の港内を出て行く、追浜海軍航空隊 (現在の日産自動車追浜工場のあるところ) の方向に夕焼富士がくっきりと空に浮かんで見える。 富士山は美しい。 富士山が遠景できるときは時化るという。 案の定、暗くなってくるに従って海上は少し荒れてきた。

 夜間の突入訓練の最中であった。 私と20期の秋田谷と二人で艇に乗っていた。 エンジンが急停止し、そのあと再びエンジンが掛らなくなってしまった。 先に説明したあれである。

 真っ暗な海の上、北風も大分強い、艇の甲板は滞れて滑べる。 そのうえ艇は油が飛散している。 動揺も大きくなってきた。 エンジン室の天蓋を外して私は上半身を頭からその中に突っ込み、

 「お前は外を響戒しろ。」

 と秋田谷に言った。

 「あいよ。」

 と返事が返る。 エンジンの焼けた臭いとビルジの臭いが鼻をつく、おまけに艇がひどく揺れる。

 「秋田谷、お前海に落ちるなよ。」

 「なに、落ちるもんですか。 どうですか、何か判りましたか。 エンジンはかかりそうですか。」

 私はエンジンを外から手探りで触ってみたが、とても熱い、手の触れることができる代物ではなかった。 暗いので昼間のようにはいかなかった。 動揺が激しくなって頭を下げ身体を曲げていることも楽ではない。 自分の足は舷外に出している。 ぴんと挙げた足を秋田谷が押えてくれていた。 波頭も砕けてきた。

 「大丈夫ですか、私が代って見ましょうか。」

 と彼が言ってくれた。 私には実のところこれ以上はどうすることも出来なかった。

 「お前、ちょっと見てくれるか。 俺にはさっぱり判らんわい。」

 と彼と交代したが、やはり駄目であった。 また彼と代わりエンジンのそこかしこを外方から調べていたところ、

 「何か判らないが白いものが見えますよ。」

 と秋田谷が言って私の尻を叩いた。 もう大分陸岸の方に流されているのは判っていた。

 「近くに係留ブイがあるから注意しろよ。」

 「秋田谷、ここから海水を汲んで入れてみようか。」

 と彼に言ったが、彼は一瞬怪訝そうな顔をした。 実際のところ、私にはこれ以上手がつけられなかった。 エンジンの講義中に居眠りをしていたことを悔いる結果となってしまった。

 冷却するために海水を汲み、早く冷やしてやればよいだろうと考えたからであった。 エンジン本体から垂直に立ったパイプが2本あったが、冷却水を迎え水するところのパイプがどちらであったか判らなかった。
(続く)
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