2010年10月02日

回想録 『第12震洋隊物語』 − (11)

著 : 辰巳 保夫

 特攻兵器の猛訓練 (承前)

 私達は飛行兵となるべき教育を受けてきたため、海に対する知識というものはあまりなかった。 まず海がどんなものであるかの体験をするため、艦載水雷艇 (大型艦の内火艇) による機動艇訓練が実施されることになった。

 その日は低気圧があったのか風が相当強く、またそのうえ横須賀付近の地形もまだよく判らない我々であった。 横須賀の田浦から観音埼を回り、久里浜まで行く海上コースであった。 横須賀港の防波堤を過ぎると北風が非常に強く、機動艇は木の葉のごとくに翻弄され、最悪のコンデションの航海、私達は観音崎の裏側に艇が回るまで船酔の連続であった。

 生れて初めて経験する船酔、それが月並なものではなかった。 海上は白波が折れてくる。 その上を飛沫が走る。 艇の窓は開けることができない。 そんな状態の中で、風と波としぶきがやってくる。

 反対側の窓を顔の出せる程度に開け、「ゲ−、ゲー」 と吐きっぱなしの強行軍が始まった。 さすが艇指揮をしている兵曹長は、海の古強者、平気な顔をして操舵室で舵輪を握っていた。

 その日、我々は艇の操舵を習うのが主目的であったが、荒天とそのうえ機雷原の中を航行する難コースの突破もあって、酔ぱらいの我々はとうとう舵輪を握ることなく浦賀水道を通過し、無事久里浜に入港した。

 上陸した正面に、ぺルリ提督上陸記念碑があったが、この碑に誰が書いたのか、「敵国降伏」 の大文字が白ペンキで書かれ、碑に刻み込まれてある文字がかすかに読みとれるような状態となっていた。

 マル四艇を量産している海軍工作学校の一部を見学し、再び機動艇に乗り横須賀への帰路についた。 帰路は北風も相当弱くなって、往きの時ほどの船酔もなく、幾分ふらふらながら舵輪を交替で握り、「宜候」 (よ〜そろ〜) 「面舵」 (おも〜か〜じ) 「取舵」 (と〜りか〜じ) を発唱しながら横須賀に帰投した。

 海軍軍人となってこの時初めて船酔を体験したが、それが余りにも酷く、べろべろの状態となり、船酔の辛さをいやというほど知らされたのであった。


 特攻兵器の特別訓練は1か月足らずで仕上げなくてはならないため、昼夜を問わない猛訓練に入っていったのであった。 最初のうち艇の構造、エンジンの構造及び作動など基礎知識を教わり、その後、すぐ実物の艇による訓練へと移っていった。 緑色に塗られたマル四艇 (震洋) は、我々の間では 「雨がえる」 と綽名を付けた。

 前半、昼間の訓練が続いた。 高速になると艇の前半分以上が水面から浮き上がって、後に長くウェーキを残していく。 水面を滑べるように突っ走って行く。 乗り心地は満点であった。

 この艇はベニヤ板張りの船体、「トヨタ」 の自動車用エンジンであり、頭部に1トン近い炸薬を搭載装備する。 他には何一つとして敵に対する攻撃武器はなかった。 実際の戦闘では奇襲戦法を行ない、敵の艦船にこの艇を叩きつけるのである。

 訓練中の艇には、炸薬は積んでいない。 そのため前部が浮きあがり前方の見通しが悪くなる。 後部の操縦席からは、立ち上がらなければ前はよく見えなかった。

 そのため訓練中は2人で乗ることになった。 そして1人は前部のバラスト代りとして前部炸薬室の蓋の上に腹這いとなり、適当な時間になると2人は交替し操縦訓練を行なったのであった。

 高速の飛沫は、乗員はもちろんのこと艇の甲板も濡らして、そのうえ滑べる。 少し波が立ってくるとダダアダダアと波頭を切るようにして滑走する。 時折り起こる大きな波のときは跳び超える。 遠くで走る僚艇の姿は勇壮であり男性的であった。
(続く)
この記事へのコメント
桜と錨さん、初めまして。
私、愛媛のアラファーですが、先日、高知宿毛へ行った際、足を延ばし、かつて「震洋艇」基地が置かれていた大月町の柏島へ行って来ました。
ここには「柏島震洋隊跡碑」がありますね。
壕は全て潰されありませんが…
泊浦には3箇所程、壕が残っています!

柏島からは目の前に「沖の島」と「鵜来島」が望めます。
戦艦「大和」が公試運転を行った地が間近に望めます!
宿毛の宇須々木地区には、今でも宿毛海軍航空隊(水偵練成)跡や弾薬庫跡(レンガ造り)、貯油庫(コンクリート製・トンネル型)、魚雷調整壕…等が残っています。

私は11月に長崎・川棚も行く予定です。
Posted by GAIYA at 2010年10月02日 21:37
ご紹介ありがとうございます。
ここは第8特攻戦隊第21突撃隊の展開地ですね。 ご承知のとおり、21Zgは内令定員上は、蛟龍2隊、海龍2隊、回天一型3隊、回天四型3隊、震洋一型1隊及び震洋五型2隊の計13隊ですが、実際には終戦までに回天及び震洋が若干配備されただけですね。
Posted by 桜と錨 at 2010年10月03日 00:04
桜と錨さん、遅くにスイマセン!

宿毛湾に隣接の愛媛・愛南町の「回天」基地があった麦ケ浦の沖合、水深70m程で終戦期に海中投棄処分された「回天」が発見されたそうですよ!
某国営放送が絡んで引き揚げを模索してるんじゃないかな?

5月末には高知・夜須町の手結基地で終戦の翌日、誤報により出撃準備中に起こった爆発事故で犠牲になった方々を慰霊してきました。

故郷に帰れると喜んだ若い隊員が多かった事と思います。
Posted by GAIYA at 2010年10月03日 01:14
>緑色に塗られたマル四艇 (震洋) は、我々の間では 「雨がえる」 と綽名を付けた。

官房軍機密第一四三四号
昭和十八年十二月八日
大東亜戦争中南方方面ニ於テ行動スル魚雷艇及特型運貨船ノ塗別線以上ノ外部及外舷ヨリ見透可能ノ内舷(露天甲板ヲ含ム)ノ塗色ハ艦船造修規則第二二三條及ビ第二二四條ノ規定ニ拘ズ濃緑色トス

上記は以前に某所で発表したものですが、これを見る限り、昭和19年9月までには「内地ニ於テ行動スル艇」にまで濃緑色を塗るよう通達が出されたのか、それとも訓練後は南方へ進出する予定だったのか、どちらかでしょうね。
Posted by 出沼ひさし at 2010年10月03日 03:02
おはようごさいます。
桜と錨さん=出沼ひさしさん、で宜しいでしょうか?
全てではありませんが、桜と錨さんのブログを拝見させて頂きました。
凄い経歴と知識をお持ちですね!
感服致します。

小生、とても太刀打ち出来ませんが、中学1年の時、初めて買った漫画本「劇画・太平洋戦争」…ミッドウェー海戦が主内容のものでしたが、私が初めて知った海軍軍人が空母「飛龍」飛行隊長・友永丈市さん、山口多聞司令官でした。
今年4月、枕崎へ戦艦「大和」以下第二艦隊戦没者追悼式に参列後、鹿児島、宮崎、大分の旧海軍史跡や慰霊碑を訪ね、最後に別府市の友永丈市大尉生誕地碑と墓地を訪ね、甥の「友永丈一」さん宅に招待され、友永さん乗艦の「飛龍」と同じ銘柄の酒と色褪せた30年前の漫画本を差し上げてきました。
友永さん宅のリビングには大尉没後、大本営に飾ってあった大尉の肖像画が返還され堂々と飾られてあり、感激致しました。
激動の昭和、志半ばで散って逝った多くの御霊に、今ある「平和」を感謝し、先人の努力や技術、歴史や文化を語り継ぐ責任が我々にあると思い、微力ながら頑張っている次第です。

今後とも何卒宜しくお願い申し上げます!
Posted by GAIYA at 2010年10月03日 10:05
 GAIYA さん

>桜と錨さん=出沼ひさしさん、で宜しいでしょうか?
 出沼ひさしさんは 『戦時編制調査室』 というブログ ↓ をやっておられる旧海軍の編成事項に関する大家で、私とは別ですよ。

     http://www.warbirds.jp/town/door.cgi?no=89

Posted by 桜と錨 at 2010年10月03日 16:00
 出沼ひさしさん

 この回想録で出てくる水雷学校での教育時期には、震洋は父島や南西諸島を含む本土以外への展開が予定されていましたので、水雷学校のものも濃緑色に塗られていたのかも知れませんね。

 ただし、震洋は艦船扱いではなく兵器扱いですし、また当該文書以外には内令提要にも艦船塗色に関するものはありませんので、その塗色基準はハッキリしないのですが ・・・・ ?
Posted by 桜と錨 at 2010年10月03日 16:07
桜と錨さん、失礼致しました。
多くの大家の方々がいらっしゃいますから全ての部門の方までは把握しておりませんので御了承頂ければと思います。
私は海軍研究家でも郷土史家でもありません…ただの素人ですから、熱い情熱は持ってますが…
出沼先生、失礼致しました!

そう言えば、「大和」に乗られた、お婆ちゃんは艦艇の色の事も記憶で覚えているのは、今の自衛艦艇より暗い灰色であったと…
尾道の「男たちの大和」原寸大ロケ地にも行き、甲板上で、本物の「大和」はもっと暗い色だったと…
「大和」乗組員のY木さんも同じ事を言われていました。
高知・四万十市には90を越えたお爺ちゃんですが、「大和」建造当時、呉海軍工廠で「大和」の木甲板の板張りをされた方が健在です。
愛媛には、「大和」と共に沖縄特攻に出撃し終戦まで生き残った武功艦「雪風」乗組員の方が唯一健在で、この方は後部五番機銃配置で奮闘され、「大和」の爆沈を目の当たりにされています。
Posted by GAIYA at 2010年10月03日 16:44
桜と錨様
魚雷艇は特務艇ですが、特型運貨船は雑役船扱いでしょうか。
どちらにしても兵器とは違いますね。
震洋は外舷2号色の可能性もありますね。
Posted by 出沼ひさし at 2010年10月03日 18:30
出沼ひさしさん

魚雷艇は「特務艇類別等級」(昭和15年内令197号)に定める特務艇、特型運貨船は「雑役船船種及所属定数」(昭和13年内令1182号)に定める雑役船ですね。

Posted by 桜と錨 at 2010年10月03日 21:38
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